引用元:軍事板「あなたのおじい様の戦争体験を教えて その5」
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/army/1079792979/
383 名前:
名無し三等兵[]投稿日:04/05/05 01:50 ID:5vYYzIDB
入院してた時、知り合ったおじいさんの話。
「夜中に出撃した時ねぇ、真っ暗で見えやしないのだけれど上官の命令で
小銃(38式とのこと)を適当に1発打ちましたよ。
そしたらね、そこらじゅうから何十、何百と撃ち返されましたよ。
あれじゃ勝てるわけありませんよ。」
384 名前:
383[]投稿日:04/05/05 01:53 ID:5vYYzIDB
もひとつ。
こんなことも言ってた。
「私たちは若い人に謝らなければならない。負ける戦争を何故やった?と
言われても仕方ないんですよ。」
なんて謙虚な昭和のサムライ・・・・
引用元:軍事板「あなたのおじい様の戦争体験をおしえて その4」
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1073145949/
575 名前:
名無し三等兵[sage]投稿日:04/02/17 13:03 ID:???
うちのじいさんは、かなりはりきってたんだけど、徴兵される前に終戦が来たらしい。
899 名前:
名無し三等兵[sage]投稿日:04/03/03
12:38 ID:???
満州から逃げ帰るときのばあちゃんの話。
避難民はグループとなって逃げていた。
護衛に日本兵がついていたのだが、
避難民の足は遅く、ソ連軍がすぐそこに迫っていた。
あるとき、護衛の日本兵の隊長が避難民の中の女性にだけ
薬を渡していった。
「ソ連軍は丘向こうに迫っている。
大和撫子が彼らの慰み者になるのは忍びない」
そう言って、その薬を飲めと言う。
うら若き美人看護婦だった(自分でそう言っていた)ばあちゃんは、
すぐにその薬が青酸カリだとわかったと言う。
もちろん、ばあちゃんはその薬を飲まず、無事日本に帰りついた。
避難民の中の若い女性は、ほとんどが「絶対に生きて日本に帰る」と言って
薬を飲まなかったそうだ。
「薬を飲んだのは、お婆さんばかり」だったそうです。
901 名前:
名無し三等兵[sage]投稿日:04/03/03 20:36 ID:???
>>899
おばあちゃん孝行してあげてください・・・・゚・(ノд`)・゚・。
引用元:軍事板「あなたのおじい様の戦争体験をおしえて その3」
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1072443282/
431 名前:
名無し三等兵[sage]投稿日:03/12/30
15:35 ID:???
厨房の頃
日に何回も飯の催促をして家族のお荷物扱いだった
ボケじいちゃんに思い上がっていたオイラは
「昔の話(戦前戦中)を教えてよ」とエラソーに
聞いたら、茫洋としてた目が急に真面目になって
「そんなこと聞いてどうする?、なんの目的で聞く?」と
激しく詰問口調であせった
オイラ的には祖父とマターリ会話をのつもりが
意外な反応に「なんでそんなに怒るの?もういい!」と自分から終わらせて
それがまともな会話の最後になってしまった・・
15年程たって祖母が入院した際
部屋を整理していた母が戦時中の祖父の品を発見した
支那事変従軍ナントカ記章
射撃大会の賞状
部隊の集合写真
実の息子である父も初めて見る物だった
今となっては確認しようもないが
敗戦で180°評価が変わり
軍時代のことは黙っていようと決めていたのだろうか・・
引用元:軍事板「あなたのおじい様の戦争体験をおしえて その2」
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1061964556/
166 名前:
名無し三等兵[]投稿日:03/10/04 21:19 ID:LkTVRYIj
うちのじいちゃんは
戦争中のことしゃべらなかった。
一度聞いてみたんだけど
「うん、戦争はやるもんじゃないよ」
としか言わなかった。
結局話さないまま亡くなりました。
31 名前:
名無し三等兵[sage]投稿日:03/08/31 12:01 ID:???
じいちゃんの話は以前書いたのですが、義父からも話が聞けたので出します。
義父は戦時中、調布に住んでいました。調布といえば244戦隊。
近所に住んでいたこともあり、迎撃に上がって行くのをよく見てたそうなんですが、
「足が浮いて、上昇したなと思ったらそのまま落ちてくる事がよくあった」
飛燕の稼働率が低いのは知っていましたが、稼動中の故障とは…
義父は当時、小学生でしたがF6FやP51によく追っかけられたそうです。
本当に動くものなら見境無くで、同級生も校庭で撃たれて死んだのが何人も。
こういう話を聞くと、直接目視でやってるぶん無差別爆撃以上に腹がたちます。
212 名前:
名無し三等兵[sage]投稿日:03/10/13 05:54 ID:???
俺の叔父さんの昭和20年春頃の話です。当時中学一年だった叔父は級友二人と、
「このままでは日本は負ける 何とかしよう」と相談し、当時富士山麓にあったという
「陸軍少年戦車学校」への入学を決意し、担任の先生に願書を取り寄せてくれと
3人で頼みに行ったそうだ。ところが先生はいきなり3人を殴りとばしてこう叫んだ
「貴様等が死んで日本が勝てると思うのかっ!! これからの日本には貴様等の
力が必要なんだっ!!」
戦後叔父は高校の教師となり、そして日○組とも深く関わっていたらしい。ただ、
叔父は酔った時は何故か「加藤隼戦闘機隊」や「愛馬行進曲」を歌っていた。
昨年叔父は鬼籍に入りました。
引用元:軍事板「あなたのおじい様の戦争体験を教えて」
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1053513337/
457 名前:
名無し三等兵[]投稿日:03/06/28
00:56 ID:oTYbQwhG
うちの爺ちゃんは終戦の日に徴兵され大阪の訓練施設に
いったそうです。到着と同時に爆撃されてお前は通信兵だ、と渡された
通信機と司令官が吹っ飛とぶが、一週間訓練し家に帰ったらしい。
466 名前:
名無し三等兵[]投稿日:03/06/28 16:56 ID:hN2bk0sm
大学病院で隣のベッドにいたお爺さんから聞いた話。
徴兵されたとき、海軍でロシア近くの海を守る部隊に配属されたそうだ。
ご存知のように、あのあたりの海は落ちたら心臓麻痺で死んでしまう。
南方みたいに物につかまって何時間も漂流できない。
死ぬことを覚悟したそうだ。ところが実際には運良く(?)南方へ送られた人は
皆、アメリカ軍に"ボカチン"(沈没?)され生きて帰ってこなかったそうだ。
476
名前:
名無し三等兵[]投稿日:03/06/28 22:47 ID:Raem8loj
漏れのじいちゃん、内地で終戦を迎えた上等兵だったんだが、
何か軍需物資を持って帰るのが当り前だったのに、
何にも持って帰らなかったため、ばあちゃんにさんざコケにされたそうな。
「嫁は選ばにゃいかんぞ」と、孫の漏れにしみじみ・・・。
480 名前:
名無し三等兵[]投稿日:03/06/29 00:19 ID:IZQTkS6G
亡くなった祖母の話
終戦の前の年の夏、製鉄所を狙いに来たB29に日本の飛行機が体当たり、
おまけに後のB29にも当たって、2機共墜落したのを見て地上で大騒ぎ、
防空壕の上で隣組の人達と万歳・万歳の連呼したそう。銀色のはねが
キラキラ舞い落ちてすごく綺麗だったそうです。
うちのばあちゃん、奇しくも飛行第4戦隊野辺軍曹機・折尾上空体当たり
の目撃者。しかし、万歳って・・20人程の命が失われた瞬間なんだぞ・・
まぁ・・当時はそんなもんかな・・・