江戸時代の美味い物について語れ  はてブ  はてぶ

引用元:日本史板「料理、菓子、酒 江戸時代の美味い物について語れ」
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1201688228/

1 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/01/30(水) 19:17:08 20081004s.jpg
現代の和食の基礎となった江戸時代の食い物
食ってみたい料理から、コリャなんだつう料理まで
全部あげて満腹しよう

5 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/01/31(木) 01:41:53
天然ものだったり、地産地消だから鮮度のよさから
美味しいものもあったかもだけど、
調味料の水準とか、当時の味嗜好が現代人にあうか考えると
今食べて美味しいものって少ないような気がする。

油、砂糖、味醂、塩、味噌、すべてが貴重品だからね。
一部の特権階級をのぞいては、潤沢に使用できなかったわけだし。



8 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/02/01(金) 05:45:27
江戸って、全国から集まった職人や参勤交代に付いてきた単身赴任の武士とか
男性の人口が圧倒的に多かったらしいね。単身者用の部屋だと調理も満足に出来ないから
ちょっとした物を食べさせてくれる屋台が増えたって。
あと理由は忘れたけど、武士は堂々と天ぷらを食べられなかったそうだよ。
天ぷら好きの武士は手拭いで顔を隠して食べに行ってたらしい。


107 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/04/03(木) 06:49:17
>>8
超遅レスながら、武士たる者、下々の食すものを食す事はあさましき事なりって決まりがあったそうで…、ちなみに屋台で食べる時はほっかむりを被ってたとか

147 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/04/22(火) 21:07:52
>>8>>107 ほっかむりしてる時点で武士ってバレバレじゃない?
それに帯刀してるんじゃ…


151 名前:日本@名無史さん[age]投稿日:2008/04/23(水) 20:07:39
>>147
武士だとバレテモ気にしないが、どこの屋敷の誰某とバレルと
まずかった。体面上まずかったみたい。
武家は行儀作法にうるさかったので、
立ったまま串に刺した天麩羅を食べるのは行儀が悪かった。


153 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/04/23(水) 20:35:59
>>151
なら座って食えるようにしようとか誰も思いつかなかったのか

154 名前:日本@名無史さん[age]投稿日:2008/04/23(水) 20:53:50
>>153
江戸は家事が多くて、天麩羅のような危険な調理方法は
空き地、川や堀の土手のそばなど延焼が起きにくい場所しか営業禁止らしい。
火事になれば、そのまま水にたたっこめる。


108 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/04/03(木) 12:40:33
江戸城内ではてんぷら禁止なんだよね
権現様に死因だからというのが表向きだけど
本当は女中が勝手に作ってて火事起こしたかららしい


201 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/05/16(金) 05:48:07
山東京伝にも京山にもウラミはないけど、
「天麩羅」京伝命名説はどうもなあ。
なんで浪速の駆け落ち男が「天竺浪人」なのかね……

もともとの「てんぷら」に当て字した、ってことか??


202 名前:日本@名無史さん[age]投稿日:2008/05/16(金) 16:14:35
元々、魚のすり身を揚げたものを「てんぷら」と言ってませんでしたか?

浪速の駆け落ち男が、魚や海老に衣をつけて揚げたものを売り出す時、
京伝に看板代わりに「天麩羅」の漢字を書いてもらった。
だったような。


203 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/05/16(金) 21:00:41
「テンポラ」「テンプル」から派生したらしい
「てんぷら」って料理は、上方から広まって江戸中期には
江戸でもはやってた。

それを「浪速の利助」たら言う人がさらに上方風の
「魚のすり身」で売り出すとき、
京伝が「天麩羅」って当て字を考えついたのかな。


204 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/05/17(土) 02:08:31
名前の語源にも諸説あり。

ポルツガル語の「テンペラ」、オランダ語の「テンポラ」
外国人宣教師が金曜日の祭りを「テンポラ」といって、
魚のフライを食べたことに由来するなどなど。
(そういえば、金曜日はフライデーw)

山東京伝の上方からの浪人風に関わる逸話は
結局は真偽は謎ということだけど
世間的な話のネタとしては著名人起源説だし、
「良く言われている説は」・・・的な話としてokでは。


9 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/02/01(金) 05:50:22
握り寿司は屋台で出したのが始まりだそうだけど、
シャリの部分が今の何倍もあったそうだね、
1つで充分お腹がふくれるぐらいだったとか。


12 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/02/01(金) 07:29:52
>>9
ネタも生は無かったそうだね。酢でしめたり、醤油ダレに漬けたり。

233 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/05/21(水) 06:34:52
江戸前の寿司が二貫づつ出てくるのは、
一口で食べられない関西人のために、
包丁で二つに切ってあげたからだって聞いたけど、
ソースが出てこない……

むかしは相等デカかったのか?


235 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/05/21(水) 09:06:08
2つでどんぶり飯ぐらいのシャリだったらしいね

236 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/05/21(水) 12:58:37
寿司飯も今よりデカっかったが、ネタも違ってた。刺身は無かった。
漬け、酢じめ、卵焼きのように手のかかったネタだったそうだ。
鉄火巻きも漬けマグロで巻いたそうだ。


237 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/05/21(水) 13:54:18
今でも本格的江戸前ずし!・・・を売りにする店は
ネタの下ごしらえが自慢と言うところが多いね
だから一番の自慢メニューがトロじゃなくて卵だったりコハダだったりする

下ごしらえを丁寧にするのは冷蔵庫がなかったせいもあるんじゃ無かろうか


238 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/05/21(水) 15:09:01
>江戸前の寿司が二貫づつ出てくるのは、
一口で食べられない関西人のために、
包丁で二つに切ってあげたからだって聞いたけど、

江戸末期から明治にかけて、握り寿司が全国に広まったと何かで読んだ。
それで江戸でも小さな握り寿司を二貫づつ出すようにしたらしい。


247 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/05/22(木) 13:21:37
もともとはでかい塊のような1貫でだす。大きいほうが客に好まれた。
それを二つにわけて2個にして客の食べやすいようにした出した。

もともとは1貫=2個
この習慣が忘れられて1貫=1個となった。


46 名前:日本@名無史さん[age]投稿日:2008/02/09(土) 14:28:37
今や高級接待用の料理、すっぽん鍋
江戸時代は下品な食べ物だったそうだ。
マグロも下魚とされ、寿司ネタにして食べるのは赤身だけ、
トロは肥料にしたそうな。
脂身は苦手だたんだろう。しかし、天麩羅は食ってる。


51 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/02/09(土) 20:07:35
>>46
冷蔵庫が無いから脂は直ぐに酸化して食えたもんじゃなかったんだろ

53 名前:日本@名無史さん[age]投稿日:2008/02/13(水) 14:29:35
初鰹って品川で獲れたやつを、
小船で魚河岸まで持ってきて捌いたって読んだけど。
江戸時代には、鰹が江戸湾まで回遊してきたんでしょうか?
どなたか知ってる人いませんか。


57 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/02/18(月) 01:17:14
>>53
5月頃には相模灘(鎌倉沖)〜房総沖を回遊とのこと。
徒然草にも「鎌倉のうみに、かつをといふ魚は・・・」とある。
(「江戸東京グルメ歳時記」雄山閣社刊より)


353 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/06/13(金) 23:10:55
初鰹は、江戸っ子の初物好きのために鎌倉飛脚で輸送。

河豚は江戸期に流行
命を惜しまず食うのが粋。たくさん死んだ。
そのおかげでどこが毒かわかったそうだw


60 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/02/21(木) 16:23:06
氷式の冷蔵庫っていつ位からなの?

氷室の氷はどんな使われ方していたんだろ?


61 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/02/21(木) 16:43:08
いつからあったかは明確ではないが、
少なくとも孝徳天皇のときまでには氷連が置かれ、
氷室を管理させていたらしい。

「枕草子」の「あてなるもの(上品なもの)」の段では、
削り氷にあまづる(あまちゃづるの汁)を入れて金椀に入れたもの、
という記述があり、高貴な人が夏の風物詩として食していたようだ。
「栄華物語」では、病に伏せった藤原寛子(道長の娘)が、
夏、氷しか口にできなかったという記述もある。


62 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/02/21(木) 19:01:34
鰻の蒲焼なんかは鰻そのものは凄い上質だったんだろうけど
砂糖が少ないから、現代人が食べると案外味が物足りないものだったのかな。


63 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/02/21(木) 21:16:25
初期のころの鰻料理はぶつ切りにしたものに醤油をつけて炙り焼にしたものとか

64 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/02/21(木) 22:34:17
鰻の蒲焼が広まる以前には、鯰の方が一般的だったと聞いたことがある。

ちなみに、館林の名物、鯰の天麩羅はあっさりとしていて、とてもうまかった。


72 名前:日本@名無史さん[age]投稿日:2008/03/18(火) 22:38:56
>>64
鯰の蒲焼もあったと思う、味は蛋白だったような、どっか田舎で食ったと思う。
最近は川魚を扱う魚屋なんてあまり見ないですね。

286 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/05/25(日) 06:34:56
清川八郎はウナギ好きだよな
なんか日記にやたら書いてるし
ウナギないってわかってしょうがなくてナマズ食ったら
やっぱり不味くてウナギのうまさを再確認したとか愚痴ってるし

76 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/03/19(水) 22:21:28
桃山時代から江戸時代初期にかけて、カステラや金平糖、ボウロなど西洋菓子
が入ってきたけど、生クリームやアイスクリーム、チーズケーキなど入ってきて
いたのでしょうか?奈良時代に発酵乳製品の醍醐や蘇が食文化としてあった事だし
、カステラもケーキのスポンジ部分とすれば、当時の日本でも作れないことはな
い気がするが。


77 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/03/19(水) 23:05:48
生クリーム使ったケーキ自体ヨーロッパでも誕生してなかったのでは
アイスクリンもそうだな

乳製品は乳牛を飼うことが前提だから難しいような気がする
ちなみにこんぺーとーは勿論、カステラ、ボーロも、牛乳や乳製品を材料に使いません。


81 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/03/21(金) 16:09:29
江戸時代初期は、まず砂糖の入手が困難だったのでは。
ほとんどが輸入品、国内産ができるのは中期以降らしい。
しかも砂糖は薬問屋で売っていた。庶民は食べられなかったとか。
コンペイトウなんかは江戸でも売られてたそうだが、何か別の糖で作ったのか。

86 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/03/22(土) 19:17:00
羊羹も、元々は甘くなかったんだっけ?

87 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/03/22(土) 19:21:14
羊の羮(ひつじのあつもの)つまり羊スープ

92 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/03/25(火) 21:19:49
羊のミンチ→寺で小豆で代用(小豆のミンチ)→なんとなく塩を砂糖にしてみた→羊羹

こんな感じじゃなかったっけ


123 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/04/14(月) 13:43:34
白糖が高級品だったらしいが麦芽糖みたいなのは結構出回っていたのかな?

124 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/04/14(月) 16:45:26
江戸中期頃まで上白糖は輸入品だった。台湾、琉球、中国から。

麦芽糖は昔からあったみたいだから、普及してたんじゃないかな。安いし。


137 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/04/16(水) 00:38:36
幽霊子育て飴は、水あめのものを小夜の中山付近で購入して食べたよ。
あまり甘くなかったような・・・・でもそこそこ美味しかった。
量が多すぎて結局食べ切れなかった。

しかし、江戸時代から続くとかいう扇屋は名物おばあちゃんが東京に引き取られた
という情報以降話を聞かないが、今でもお元気なのか・・・・


140 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/04/16(水) 17:53:21
「幽霊子育て飴」
製法は蒸した米に麦芽を加え、麦芽糖が生じたら汁をしぼって煮詰めたもの。
もともとこうした飴は、固形ではなくどろっとした水あめであった。
現在の子育て飴は砂糖を加えて固形になっているが、
江戸時代のものは砂糖を加えず、水あめ状であったらしい。


http://www.geocities.jp/kyo_gasi/kosodate/kosodate.html

139 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/04/16(水) 15:24:03
飴なんかで乳飲み子育てられるの?
米のとぎ汁は乳の代わりになるらしいのだが飴では無理だろう
幽霊もやる気は買うがもう少し学があれば・・・


141 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/04/16(水) 18:54:25
>>139
栄養という面ではどちらも致命的に栄養が足りないよ。
もし乳が出なかったり、母親が亡くなったりしたら、いろんなものを
一生懸命工夫して与えたんだろう。米のとぎ汁だけではほとんど足しにならない。

乳母がお願いできるならいいが、そうでなければよっぽどうまくやらなけりゃ
生存できなかったことは想像に難くない。
そんななか、精一杯工夫して飴を与えていた悲しさを読み取るべき


142 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/04/16(水) 20:00:26
>>141
子育て飴の話自体は、半ば伝説みたいなもんだってば。

113 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/04/06(日) 05:05:09
野菜、果物が今よりも苦い、えぐい味だったらしいね。
品種改良って偉大だなあと思う今日この頃。


114 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/04/07(月) 16:50:21
大根も牛蒡も甘すぎ!もっと辛みやえぐみがあったほうが自然っぽいのに。

116 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/04/07(月) 22:54:34
でも、スイカは美味くなったよ、江戸時代は甘みが薄くて、
砂糖をかけて食べていたらしい。
また、スイカを切るときの音が、首を落とす時の音に似ているとか、
割ると真っ赤な身が出てくるのが気味が悪いとかで、
あまり好んでは食べられなかったそうだ。

序でに、キュウリも元々「黄瓜」で、青いうちは身体に良くない
とされて、黄色く熟してから食べたそうだ。
皮をむいて、種を取り、味噌汁の具にしたとか。


117 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/04/08(火) 15:15:30
スイカやキュウリだけじゃなく、普通の瓜も夏場冷やして食べてたようです。
あんなの大して甘くないのに。


118 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/04/08(火) 17:45:28
>>117
昭和30年代までは冷やした真桑瓜が夏の御馳走
形は今のキンショーメロンに似てるけど全然甘くない


119 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/04/08(火) 19:53:26
うちの地元の殿様は、寛政12年6月25日に
府中の瓜(まくわうり)の種を将軍から賜ったそうだ。
大根の種や日野菜の種も度々貰っている。


681 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/08/18(月) 13:55:58
マクワウリって美味しいの?
川で冷やしてかじるとか聞いたけど
(平安時代では貴族が食ってたそうだが)

あと時代劇といえば長屋の浪人とかひとり者とかが
飯屋みたいなところでそば食ったりどんぶりくったり(何丼?)してるけど
当時の一人身って年中ああいう食生活なんですか?


701 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/08/20(水) 23:12:39
>>681
今食えば筋張ってスカスカで美味くないと思う
しかし昭和30年代までなら夏の御馳走


684 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/08/18(月) 19:16:42

>あと時代劇といえば長屋の浪人とかひとり者とかが
>飯屋みたいなところでそば食ったりどんぶりくったり(何丼?)してるけど
>当時の一人身って年中ああいう食生活なんですか?

一人もんは外食が多かったそうですよ。(江戸中期以降)
食物屋は屋台から、安い居酒屋、飯屋、蕎麦うどん屋と充実してた。

かまどの付いてない長屋も多かったそうです。
後は、飯だけ炊いて、惣菜を買ってくるという手もある。


687 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/08/19(火) 04:15:47
>>684
基本は飯と汁だけ作って惣菜を買うのがデフォだったみたいだね。
結婚した夫婦でも。
滝沢馬琴なんて惣菜屋目的で30回も引越ししてたそうな。


704 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/08/21(木) 02:40:50
すいかはいつ、どこから来たんだ?

705 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/08/21(木) 15:16:55
秀吉が名護屋城での仮装大会で真桑瓜売りに化けたこと
名付け親は応神天皇これぐらいしかしらないなぁ>真桑瓜

>>704
アフリカが減産で室町時代初期に日本の到来
流れ出る果汁が血のようだと忌み嫌われる


718 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/08/23(土) 01:42:44
>>705
嫌われたのに、なんで栽培されたんだ?

719 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/08/23(土) 02:53:10
>>718
嫌われる一方で「そんなことよりこれうまいんじゃね?」って思われたから
それまでのスイカは表面が黒で今の縞模様じゃない
今の縞模様になったのは昭和初期に大和あたりで品種改良された時
今のスイカのほとんど全種はこの時期前後に開発されたもの

江戸期の切り売りの図でのスイカは皮が黒い。少なくともこのころから夏の風物詩だったはず
「西瓜食う 娘の口の 難しさ」とか川柳もあったしね
一方でやっぱり低級視されていて「西瓜なんて辻番屋あたりで切り売りして
中間とか小者が食うものよ?街中で堂々と売ってるわけじゃないしましてや娘さんが食べるもんじゃねぇ(超訳)」
とか昔々物語(だったとおもう)に書かれています

あとスイカが江戸で普及したころちょうど由比正雪の乱がおきたとかで
「正雪の霊が乗り移ってるから血のように赤いぜよ(超訳)」とか言われたこともあったとか

もう一つおまけに幕末ですが薩英戦争時に黒田了介と大山弥助率いる80人程度の部隊が
久光の命令でスイカ売りに化けて英国艦隊に潜入切り込み攻撃をかましたりしています
(斬りこみ自体は成功しなかったものの乗艦まではばれずに行った)

スイカ来日も室町ごろといわれてるけど実はよくわかっていない
古いのだと弥生時代の遺跡から種が出てきたり
鳥獣戯画にそれっぽいのが描かれていたり
17世紀に隠元さんが持ってきたと
かポルトガル人が鉄砲やカボチャと同時代に持ってきたという説もある
どちらにせよ西方から来たので「西瓜」


155 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/04/24(木) 13:55:06
外人に食わせるもんじゃねーなぁ

【江戸時代】ハリスが江戸城で振る舞われたご馳走 コイの刺身・エビの煮付け・なます

http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1208996167/

157 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/04/25(金) 18:49:04
>>155 鯉の刺身ってどんな味かな?
食べてみたい


159 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/04/25(金) 18:58:42
洗いならさっぱりしてますけどね
つか、「鯉の刺身」と「鯉の洗い」って同じ物かな。

基本的には鯉はかなり泥を吐かせないと泥臭い(らしい)。
その辺は幕府の接待だからちゃんと処理はしていたと思うけど
それでも欧米人には耐え難い食事だったろう。

どうも室町時代以前は最上の魚は鯉とされていたようだ。
確かに式包丁でも実演に使うのは鯉が多い。
最上の魚が鯛となったのは江戸時代以降。
徳川家康の趣向なんかも影響したっぽい。


165 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/04/25(金) 21:02:36
その当時から、生魚の扱いが上手かったって事だよね。
ふぐにしても、縄文時代から食べられてたみたいだし、
その後も、素人は亡くなる人が多かったけどプロの料理人は
調理の仕方を熟知していた訳だしね。

195 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/05/10(土) 19:09:48
江戸の美味いものといえば目黒の秋刀魚だろう
いや、これ本当に美味かったそうです
芝浜で取れた秋刀魚に塩を振って目黒まで3時間ぐらいかけて持っていく
するとちょうど塩がなじんで取れたての秋刀魚より美味くなるんだそうですよ

しかし赤井御門守は12万3千石(親藩)か・・・それなりに大きな大名なんだなw


198 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/05/12(月) 15:16:36
>>195
>秋刀魚は塩したほうが上手いだろう。
しかし、外洋魚の鰹はどうしてたんだろ?
直接、魚河岸まで船で運んだのかな?
千葉沖で獲れても、船で運ぶうちに腐るんじゃないかな。

200 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/05/14(水) 03:46:48
>>198
鰹は鎌倉沖でも獲れる。→このスレの過去レス >57
それからおもに日本橋の河岸にあがる。
・鎌倉を生きて出でけん初かつを(松尾芭蕉の句)


294 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/05/27(火) 01:08:19
>>198
遅レスだが、江戸湾周辺の漁村から毎日生魚を専門に運ぶ
押送船という船があった。
「押送船は、生魚を積、暑中にも六、七十里の灘を渡る故、
早き事を専らにして、尤風波の乗切もよし、外船になき檣(帆柱)
三本あり。」


298 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/05/28(水) 20:02:51
>>294
押送船って中(船倉)が生簀にでもなってたのか?大きさはどのくらいだすか?

300 名前:294[]投稿日:2008/05/29(木) 22:48:57
>>298
上口長さが11,7m、幅が2,5m、深さが90cm。
7丁櫓に6反の木綿帆3枚であるが、生簀があったかどうかは不明。

速力は風次第であるので不明だが、享和三年当時、関東の押送船
は64艘あって、武蔵、相模、上総、安房、伊豆の地域に分布して
いたそうだ。


206 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/05/17(土) 13:48:55
素朴な疑問ですが、一汁三菜とかを膳台に一人分づつ出して
それぞれが自分の膳だけを食べる習慣って、いつ頃定着したんでしょうか?

中国でも韓国でも、はるか東南アジアでも、皿や器を卓にづらづら並べて
それを皆で取り分けて食べるでしょ。
日本だけ特殊な感じがしませんか?
あっ、鍋だけは別ですね。


207 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/05/17(土) 17:33:51
貴族では記録ではっきりするのは平安時代から
・・・飛鳥奈良時代もそうだったかも知れないけど献立の記録はあっても配膳の仕方の記録がないとおもう
武士も鎌倉時代には各自の膳ではないのかな
これは禅宗渡来と一緒に伝わった精進料理の影響も大きいと思う(各自マイ椀をもちそれぞれの膳で食べる)

一般庶民が銘々膳となると江戸時代以降じゃないかなぁ。


208 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/05/17(土) 22:59:53
平民の箱膳とかの時代は短い気がする
うちのばあちゃんの子供時代ぐらいまでらしい


209 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/05/19(月) 14:37:37
>これは禅宗渡来と一緒に伝わった精進料理の影響も大きいと思う

なるほど、お寺が精進料理を出してたのとつながりが深そうですね。

>うちのばあちゃんの子供時代ぐらいまでらしい

明治以降はちゃぶ台にまとめて料理を乗せるようになったんだ。


215 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/05/19(月) 19:35:10
箱膳って、まさか御わん洗うよね?
どこかで食べたら拭くだけと読んだりビデオで見たりした気がするんだが


216 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/05/19(月) 20:14:07
水で洗って、藁でこするんじゃないかな。
たわしができたのは明治になってから


219 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/05/19(月) 21:47:37
胡麻菓子

220 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/05/19(月) 21:49:13
ごまかしてんじゃねーよwww

221 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/05/19(月) 22:44:24
>箱膳の茶碗は洗う
箱膳ではないのですが
親族より伝え聞いたところによると
昭和40年代の京都市内の旧家では
食後の茶碗に湯を注ぎ、お茶漬けさらさらして
あと拭いて(何で拭いたのかは失念して不明)
そのまま水屋に元通りにしまっていたそうであります。

つまり 洗っていません。

げー!・・・と思いますが、上記の手順は茶会作法としては残ってます。
もちろん今の茶会はお客さんのお碗をひいた後ちゃんと洗ってしまってるはずですが。
漆製品は一度こびり付いた汚れを取るのが大変ですので。

>>220
誰が上手いこと言えと(ry


223 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/05/19(月) 23:03:42
>>221
いや「ごまかす」の語源がそもそもゴマのお菓子で
でんぷんをふくらまして揚げたようなお菓子があって
「うわでかい菓子だな」って思って食べたら中身スカスカのパフパフで
それで「ごま菓子」っていう言葉になったって聞いたことがあったもので


224 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/05/19(月) 23:09:01
ちょっと画像までは見つからなかったけど

http://www.mukai-utc.co.jp/archives/2005/02/post_108.html
http://home.tokyo-gas.co.jp/shoku110/unchiku/445.html

http://members.stvnet.home.ne.jp/kubookada-k/goma.html
ごまどうらん【胡麻胴乱】:
文化・文政(1804年-1830年)年間に江戸にあった菓子。
小麦粉にゴマをまぜて焼きふくらましたもので中は空。胡麻菓子


228 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/05/20(火) 19:56:07
ごまかすは、江戸時代から見られる語で、漢字で「誤魔化す」と書くのは当て字である。
ごまかすの語源には、二通りの説がある。
ひとつは、祈祷の際に焚く「護摩(ごま)」に、「紛らかす(まぎらかす)」などと同じ、接尾語「かす」が付き、ごまかすになったとする説。
この説は、弘法大師の護摩の灰と偽り、ただの灰を売る詐欺がいたため、その詐欺を「護摩の灰」、その行為を「ごまかす」と言ったことからとされる。
もうひとつは、「胡麻菓子(ごまかし)」を語源とする説。
「胡麻菓子」とは、江戸時代の「胡麻胴乱(ごまどうらん)」という菓子のことで、中が空洞になっているため、見掛け倒しのたとえに用いられたことによる。


229 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/05/20(火) 20:27:20
>この説は、弘法大師の護摩の灰と偽り、ただの灰を売る詐欺がいたため、その詐欺を「護摩の灰」、その行為を「ごまかす」と言ったことからとされる。
この説なら江戸時代よりかなり以前からあった言葉。

>もうひとつは、「胡麻菓子(ごまかし)」を語源とする説。
「胡麻菓子」とは、江戸時代の「胡麻胴乱(ごまどうらん)」という菓子のことで、中が空洞になっているため、見掛け倒しのたとえに用いられたことによる。
この説なら江戸時代から使われだした言葉。

こうゆう風に分けられるのでわ。


256 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/05/23(金) 00:58:05
鹿肉の味噌漬けとか粕漬けうめぇー!
池波の小説に出て来てもおかしくないぐらいうめぇー!

で、これって江戸時代にもあったの?


257 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/05/23(金) 01:22:10
>>256
縄文時代の遺跡から出てくる獣肉はほとんど猪肉か鹿肉だ
神社の神事でも猪や鹿の人形に矢を射かけるのがよくある
鹿は日本の伝統食


258 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/05/23(金) 03:00:35
でも奈良では鹿殺すと一族全員穴に埋められて死ぬまでうえから岩を落とす処刑されたよね
伊藤俊輔がうまさに感動して許可するまではふぐ食っても改易だったかな?


259 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/05/23(金) 06:53:41
肉ったって 牛は食わなかったけど鳥は食べていたんじゃないの
よく軍鶏鍋とか聞くけどさ どうなんだろう。

261 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/05/23(金) 09:20:31
鴨も食べられていたね

264 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/05/23(金) 13:01:18
ま、滅多に食べられる物ではなかった
というのがファイナルアンサーかと>江戸の獣肉


265 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/05/23(金) 18:01:13
ま、薬食いってもんだしな。

ところで港区の郷土資料館には芝(港区ね)の薩摩藩邸から豚の骨が
発掘されたなんて展示があるのだが、その用途は食用だったようす。
今でも薩摩の黒豚なんて銘柄肉でもあるのだけど、
薩摩藩邸で食された豚は藩邸内で飼育されていたのだろうか。

幕末になると、「豚肉好きの慶喜」とか、
京の新選組が屯所に本願寺内で豚を食べ、寺では匂いに閉口したなんて
逸話が良く紹介されるわけだが、それらの豚の飼育はどこで?

266 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/05/23(金) 19:43:01
薬食っていっても、表向きにでしょ。

大石内蔵助は牛肉の味噌漬けが好きで、七輪で焼いて食べていたって
聞いた事がある。今食べても普通においしそうだよね。

267 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/05/23(金) 19:48:37
>薩摩藩邸で食された豚は藩邸内で飼育されていたのだろうか
藩邸では馬は飼っても、豚は飼わないと思います。
今でも街中では養豚施設は無いので、おそらく近郊の農家あたりから買ってきたのでは。


271 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/05/23(金) 21:52:43
>>267
残念 藩邸内飼育でした
>江戸時代後期の農学者・佐藤信淵(のぶひろ)が著した「経済要録」には「薩侯の邸中に飼(かう)処(ところ)
>なる白毛豕(ぶた)は、其味殊更上品にして、食物も亦(また)法に叶へり」

http://373news.com/_bunka/jikokushi/21.php

275 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/05/24(土) 05:22:41
「下級武士の食生活」という
江戸へ赴任してきた紀州藩の下級武士の食生活をネタにした本があるのですが
(主人公の坂井伴四郎は日記にその日食べたものを事細かに書き残している)
風邪を理由にたびたび豚肉を食べているようです。

外出先で豚鍋で酒を飲んだり
「ぶた肉百文之買候」と、生肉を買って翌日に鍋にして酒三合飲むとかあります

278 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/05/24(土) 13:48:59
もう日本でもイノシシが家畜化されていたってことでしょうかね?

279 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/05/24(土) 14:26:57
昔は関東では肉と言えば豚ですき焼きにも豚を使った
畑作地帯が多いので野菜屑を飼料にできて堆肥も取れる豚は価値がある
江戸時代以前から飼われていたと考えるべき


290 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/05/26(月) 15:23:56
昔、すき焼きは鴨肉とねぎを甘辛のたれを漬けて、さっと焼いて食べたそうだ。
徳川将軍たちもこうして鴨を食べてたらしい。

303 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/05/30(金) 21:11:35
ふとビールを飲みながら考えたんだが
日本て発泡酒(炭酸発酵酒)ってあんまり発展しなかったよね
日本酒でも炭酸発酵したお酒なんての今はときどき見るけど
それを洗練させて追及していったようなそういうタイプの酒ってないよね?


305 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/06/02(月) 19:33:10
>>303
しかし、濁り酒を清酒にするのに灰を使うという大発明をしてます。

307 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/06/02(月) 21:27:11
>>305
うちでも、酒を造っていますが、
よく、「怒られた使用人が腹いせに灰を入れたら澄んだ酒になった」
と言われますが、どうも、その理屈がわからないのです。
(ふつう、搾った酒はしばらく静置すると自然に滓が下がって上澄みと分離します。
それでも白濁するような場合には柿渋などで凝集沈殿させます)

清澄作用を期待するよりは、灰のアルカリ分で酒の酸度が低くなって、
飲みやすくなったと言うなら解るのですが。
どなたか、詳しい方は居ませんでしょうか?

酒の大発明と言えば、「火入れ」低音殺菌でしょうか。


308 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/06/02(月) 21:47:10
http://www.rakuten.co.jp/shimazu/535476/538934/
おそらく「肥後の赤酒」と同じ製法だと思うのだが
灰を入れるのは酒の発行を止めるため=保存性を高めるため
としている。
火入れもしないらしい。

315 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/06/07(土) 12:04:10
やっぱり最高の傑作は檜の香りの移った下り酒
上方から檜の樽に入れて、船で運んでくる途中、遠州灘の荒波でもまれ
新酒に檜の香りが移るそうだ。
偶然できたのかも知れないが、酒に檜の香りが合うことを知っているのは日本人だけだな。

385 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/06/19(木) 12:46:59
酒は、もとは伊丹。
鴻池発祥の地でもある。
後に海運がひらけて、より海に近い灘へ移る。

酒を海送するについては、樽の発明が大きかった。
これによって大規模な液体輸送が可能になり、
どんどん江戸へ酒を送った。
江戸中後期には樽廻船が開発される。
日本初のコンテナ輸送と言える。

雑貨を積むよりも積み込みがきわめて早く、
従来に比べ高速輸送を可能にした。

もっぱら江戸へ運んだ。
樽の香りと船の揺れで、江戸に着く頃には味が上がると言う。
悔しがった関西人は、静岡辺りまで船を出し、
戻って来させる、という手間暇さえかけた。


341 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/06/12(木) 17:14:08
江戸時代、1800年の前半は、移動は徒歩?
隣の県へ行くような、ちょっとした遠出は、どうやって移動してたんだろう。


342 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/06/12(木) 17:14:50
おっと、肝心なことを書き忘れた。
生鮮品を運ぶ時のことね。


343 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/06/12(木) 18:39:27
水路が整備された都市以外は、担ぐか馬曳くかじゃないかな?つまり徒歩。若狭の鯖とか越中の鰤みたく長距離なら塩したりして。

344 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/06/12(木) 23:14:19
生はあんまり運ばなかったんでしょ。
山中には川魚がいるし、今と違って回りにあるもの食べてたわけだから。
って、つい最近まで岐阜とかでは江戸と同じようなもんだったんだよね。
うちの婆ちゃんなんかは老後になるまでハマグリなんて食べたことなかったって、言ってたし。
ほんで、おもろいのが、飛騨ブリ、って言ってブリの切り身なんかは富山の方から山を越えてくるから、あれは山中で採れるものと思ってた、とかね。
寒い地方だし雪の中に詰めて持ってきたのかな、聞いておけばよかった。


360 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/06/17(火) 16:41:48
関西の味覚が今のように出汁を重視するようになったのは江戸中期以降だろうね。
煮干しにするカタクチイワシの類は瀬戸内にもたくさんいたから、
出汁を取るという習慣はあったのかも知れないけど、
関西の味覚に欠かせない昆布も鰹節も瀬戸内ではとれない。

どちらも船が運んだ。
船便でなければ一般家庭の台所まではなかなか普及しない。

鰹節はもと紀州漁師がその漁労から加工までの高水準のノウハウを持っていた。
それが、土佐、薩摩、三浦半島、房総などに散ってノウハウを教え、
各地での生産高が上がった。

昆布は松前から運ぶ。
今はおせちに欠かせないカズノコも、松前から。
ただしこの当時、カズノコはおかずとしては下手の扱いだったらしい。

こう考えて行くと、現在につながる「関西風の味付け」が成立するのはどう考えても江戸中期以降。
案外新しい。

362 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/06/17(火) 17:11:54
正月の数の子は巨大な壺に山のようにつけておくもんじゃ!
・・・と今は亡き鹿児島のバーチャンが言ってました。事実おせちの中でも安物のおかずだったようです。
「黄金のダイヤ」とか言われるようになったのは昭和も後半になってからみたい。

昆布は日本海周りの航路が発達したことが大きいでしょうな。
いまでも大きな昆布問屋は東京ではなく大阪にある。
でも昆布の消費量が日本一なのは沖縄だとか。
江戸時代に薩摩経由で中国への輸出品の主力商品だった名残らすぃ。


365 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/06/17(火) 20:38:22
>>362
言われて思い出した。
中国、昆布を輸入してたんだよな。
中国の海にだって、ないことはないのに。

北前船と西回り航路が主に関西の食を形成していたとは言えそうだね。
現代、年末に贈答する新巻鮭だって北でとれるわけで。


364 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/06/17(火) 17:30:57
杉浦日向子の受け売りになるが、当時はふぐのどこに毒があるのか、
よく分かっていなかったらしい。
ふぐを食おうと誘われて断るのは江戸っ子の名折れだが、
妻帯者に限っては棄権が許される、とも。

肉についての書き込みが散見された。
よく分からんが、ぼたん、さくら、という隠語が示すように、
獣肉を食べることはあったのではないか。
現に、江戸期を通して最も下等な照明灯は獣脂で、
これは主に臭いが嫌われたわけだが、ロウソクなどに比べればうんと安かった。

低価で供給されるほど獣脂を取って、
肉だけ捨てたとはあまり思われない。


389 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/06/20(金) 09:33:28
普通に肉は食べられてたけどね
居酒屋みたいに飲んだり食べたりする所の軒先に
鳥とか肉、魚を吊るしていたみたいだし。

390 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/06/20(金) 13:19:33
どのくらいの流通であったかは別として、
食肉の風習が皆無だったと言えば嘘になるかも。
ちゃんと調べたわけじゃないが、
もみじ、ぼたん、さくら、
とこれは雅称のような響きだが、それだけに隠語めいた言い回しだ。

鶏は例外として、江戸期には食肉用家畜の風習がなかったのだ、
と表現すると非常にすっきりする。
なぜなら、米食すれば麦食地帯のように家畜を飼わなくとも
人間は最低限、繁殖可能で、
いったんそのような形で人口が飽和してしまえば、
農地面積が増加しない限りは家畜に回すリソースがあまりない。

そこへ行くと爬虫類から少し進化しただけの鶏というのは、
哺乳類ほどは食べないでも生き続ける動物なんだよね。

391 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/06/20(金) 14:53:32
しかし鶏でさえも、江戸府内では飼っているところが少なく
鶏卵は貴重だったそうだ。
卵売りが近在の農家から仕入れた卵は、府内のお得意様に高値で売れた。
吉原の郭内では、出陣前の男衆が、ゆで卵を頬張って精をつけた。


396 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/06/20(金) 23:20:55
4つ足に関しては、一応禁忌なんだよな。
これは江戸時代からなのかね?


397 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/06/20(金) 23:30:04
平安時代の宮廷料理「大饗」のメニューが『兵範記』に残っているが
いわゆる「四つ足」の物はないらしい(魚介類や鳥類のメニューはあり)。
なので、平安時代後期には四つ足獣の肉は避けるべき物と思われていたと推測は出来る。

具体的に忌むべき物と書いた史料は寡聞にして見たことがないが。


418 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/06/22(日) 18:16:31
丼モノが発明されたのはいつ頃からだろう。
砂糖が高級品だったことは確かである。
しかし味醂や酒で代用できないことはない。

江戸期までの塩は、赤茶けてベトベトしていた。
あまりうまそうな印象ではない。

赤穂の塩だけは別で、これは白くてサラサラしていた。
赤穂浪士事件の遠因とも言われる。


422 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/06/22(日) 19:14:53
wikiだとこう書いてある

最も古い丼物は鰻丼で19世紀初めに登場し、
続いて江戸末期には深川丼がうまれたといわれている。


424 名前:ぴーす ◆u0zbHIV8zs [sage]投稿日:2008/06/22(日) 19:43:45
歌舞伎の脚本家か平賀源内か誰かがよく出前のうなぎを食べた
んだけど、着いた頃には冷めてておいしくないからご飯で保温
してあげたのが始まり。

425 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/06/22(日) 21:34:38
>>424

> 歌舞伎の脚本家か平賀源内か誰かが

っていうか平賀源内が歌舞伎の脚本家って言うか。


そうか、それどっかで聞いたが、それが始まりか。
やっぱり江戸期なんだね。
江戸の食文化って充実してるな。

426 名前:ぴーす ◆u0zbHIV8zs [sage]投稿日:2008/06/22(日) 22:57:25 427 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/06/23(月) 14:51:43
鰻丼は奥が深いですね。諸説あるみたいですが牛久沼のは我田引水ぽいなぁ。
関西では鰻丼のことを「まむし」って言いますが。
これは、鰻とご飯を「まぶして」食べたからです。この辺にもルーツがありそうですね。
それから、関西の鰻丼の鰻には必ず頭がついてました。
今はどうか知りませんが。


433 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/06/24(火) 13:07:05
妙な話題になるが、江戸時代の照明はほとんどが食える。
獣脂、魚脂、植物油。
だから猫が舐める。

油は菜種。
魚脂は北方の鱒の仲間などからとったようだ。
獣脂は何からとったのだろう。
鯨か、もしくは牛脂だろうか。


434 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/06/24(火) 19:48:50
>>433
斃れ牛馬を処分し、革加工を専門に作る人達が居たから
その人達の可能性が高いでしょう。


436 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/06/24(火) 20:29:46
確かに鯨油はあった。
鯨漁そのものは古く、中世にも記録が残っている。

鯨油を取り、日本の場合は肉も食った。
ヒゲで楽器も作った。

アメリカは、油を取って残りを捨てることが多かった。
ムダ好きのアメリカ人といいたくなるがそうではなくて、
ひとつは鯨油生産が日本よりも資本主義的だったことと、
いまひとつは鯨漁そのものが遠海まで足を伸ばし過ぎていたこと。

ところが不思議なもんで、江戸以前から続く鯨料理というのが
今ぱっと思いつかない。
まあ、鰹や秋刀魚のように節になれば必ず手に入る、
ってな食材でもなかったのかと思う。

となると、話は獣脂に戻る。
獣脂のメインは鯨油だったのか。


439 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/06/25(水) 14:49:07
>ところが不思議なもんで、江戸以前から続く鯨料理というのが
>今ぱっと思いつかない。

「大魚(鯨)食す」って言うのをどこかで読んだ。
その時、思い出したのが「ハリハリ鍋」割り下で赤身を煮る。
それと「おばけ」、油を絞った後の皮下脂肪、パサパサのやつ、夏、酢味噌で食う。

>となると、話は獣脂に戻る。
>獣脂のメインは鯨油だったのか。

鯨油だけじゃ少量でしょ、なんせ小船にモリの捕鯨だから。
しかも、江戸時代、鯨は魚だと思われてた。

魚脂はたしか、鰯なんかからも搾り取ってた。
非常に臭いらしい。


440 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/06/25(水) 17:27:25
鰯やニシンから油とって残りは肥料にしてたね
鱒あたりとなると蝦夷地しかも国後択捉でも油取ってたけどこれは19世紀くらいからだな
鮭は塩漬けして食べた方が多いかな


441 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/06/25(水) 18:03:06
国後、択捉での魚脂生産は高田屋以降だね。
西洋でナポレオンが暴れていた頃。
絞りカスは西南日本に運ばれて綿花用の肥料になる。

新巻鮭は塩をして筵に巻くわけだが、この塩は上物ならきっと瀬戸内の塩、
おそらく筵は若狭辺りから運び込んだ。
考えてみりゃ蝦夷は米の適地とは言いにくいわけで、
持ち込まなきゃ藁なんかそうやすやす手に入るものじゃない。
塩も現地生産したとは考えにくい。

と考えると、新巻鮭はかなりダイナミックな食べ物だ。


442 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/06/25(水) 19:36:23
数の子が江戸の町で食べられてたのは知ってるけど
イクラは食べたんでしょうか?


443 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/06/25(水) 20:37:14
イクラは平安時代から 献上品
流石に蝦夷地産では無いが。


448 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/06/26(木) 02:13:27
精力のつく料理ってだいたい江戸時代からあるよね

449 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/06/26(木) 02:37:14
精力増進系料理は鯉や鰻やスッポンくらいだろ?あと獣肉?
公坊様はオットセイの陰茎とか食べてたみたいだけど


450 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/06/26(木) 03:47:37
獣肉は薬扱いされてたから、精力つくとは認識されてたんだろね
ところでオットセイてどこで取れたんだ?


451 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/06/26(木) 04:45:08
エゾ地

452 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/06/26(木) 07:00:22
もともとがたんぱく質・脂肪不足の食生活だから
精力増進といったらそうなるんだろう


457 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/06/26(木) 13:38:32
1日に3食食べる習慣は、エジソンが自分の発明したトースターなどの調理器を売るために、
宣伝を繰り返したことから始まったらしい。それまでは1日2食だった。
日本も江戸時代から明治は1日2食と聞いたことがある。
江戸の食い物である蕎麦・寿司・天ぷら・鰻・どじょうについてはこのスレの話で想像がつくけど、
江戸町民の日常のメニューって、どのようなものでしょうか?


458 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/06/26(木) 14:05:37
塩分+飯

固体の塩分は漬け物
液体の塩分は汁
液体の飯は酒

でございます。
アルコールは多糖類だからね。

一日三食の風習は室町期からすでに見られたという。

463 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/06/26(木) 22:10:27
下級武士の食日記から抜粋

魚類トップ3
購入回数
いわし42回(17文) さけ18回(25文) かつお15回(30文)
値段ワースト
はまぐり刺身13文 干物14文 にしん16文

野菜類
購入回数
なす22回(14文) 大根9回(14文) ねぎ5回(11文)
値段ワースト
にんじん8文 きゅうり10文 ねぎ11文

惣菜類
購入回数
焼き豆腐48回(5文) 漬け菜37回(7文) 白豆腐14回(30文)
煮豆に年間489文使用。結構食べてる
値段ワースト
焼き豆腐5文 揚げ豆腐5文 漬け菜7文

おかずはいわしと豆腐最強説

ちなみに飯は昼に炊いて残りを夜と朝に食べる3食。上方の人間じゃから
江戸の人は朝炊いて残りを昼と夜に
大店だと朝昼晩の3回炊くとか2回炊くとかまちまち


465 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/06/26(木) 22:29:18
名前出て来ないが、日記に必ず食ったものと
その値段を書き入れる習性の武士が確かいたね。
数えたのか。すげぇな。

浅草海苔ってのが長く疑問だった。
浅草に海。ないではないか。
目黒で秋刀魚をとるよりも難しいのではなかろうか。

理由は単純で、徳川入府以前は浅草辺りまで海だったと言う。
浅草は関東の名湊だった。
江戸は我々が思う以上に埋め立てられた土地だと言うことを改めて知った。

なお、浅草海苔によく使われた海藻は、今では絶滅危惧種だそうである。


467 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/06/27(金) 00:03:14
>>465 こんなとこだね。
http://www.ni.bekkoame.ne.jp/potos/tokyo-map.htm
江戸名物といえば火事だが、焼けた残土や瓦礫を使って埋め立てた面が大きい。


487 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/06/28(土) 06:53:07
蕎麦は東国、うどんは西日本のが好きだな

489 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/06/28(土) 07:14:22
なんでうどん屋の怪談ないの?
そば屋やそばは怪談か昔話に出てくるというのに
夜営業の屋台とかなかったのか?


490 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/06/28(土) 07:33:17
>>489
江戸町内に5000軒ほどあったと言われる蕎麦。
そりゃ、ネタになるでしょう。


493 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/06/28(土) 08:37:03
>>489
そばというのはいわゆるひとつの「江戸らしさ」なんだと思うよ
かまぼこに透明な酒,麺状のそば,黒い醤油かつおのだし,干した海苔の刻み

ロッテリアで都市伝説は作られずマクドナルドで作られるみたいなもんじゃないかな


494 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/06/28(土) 08:48:38
砂場の謂れは砂場にあった麺類を扱っていた店のことををそう呼んだことだが
大阪の砂場と江戸の砂場との関係ははっきりしていない。

蕎麦もうどんも最初の頃は菓子屋が扱っていて、後に専門の店が出来たとか。
老舗のお菓子屋さんにはうどんの汁を入れる徳利が残っているとか聞いたことがある。


496 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/06/28(土) 10:29:21
ソバ切りの起源はもちろん精進にあるが、
市民権を得た当初は軽食という扱いだった。
量も少なく、箸をぐるっと掻き回せば一口と言われる。
汁には味醂を入れて、甘くしてあった。

日本酒は醸造酒としては度数が高い。
三段仕込みは世界でも珍しい手法と言われるが、
もっと珍しいのは、醸造過程が一発勝負だということ。
一般的にアルコール醸成は

デンプン→糖類に分解
糖→アルコール醸成

という2過程を取る。
ワインならブドウが最初から多量に含む糖類からアルコールにするわけだが、
デンプンから酒を作る場合、一度糖類にしなければアルコールはできない。
人間の唾液で糖類に分解することもある。

日本酒は、この2過程を一つの容器内で連続的に、あるいは同時進行的にやる。
また、雑菌の繁殖を防ぐ為に、乳酸菌も増やす。
タンクの中で複雑な生態系のせめぎ合いを作り出すという点、
実はすごく高度なことをしている。

501 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/06/28(土) 18:41:45
江戸の呑みだおれ。

江戸っ子は「下戸遺伝子」てなヤヤこしいもの持ってないから。
いいなあ。

512 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/06/28(土) 21:11:39
>>501
どうしてもこの分野のまとまった著述をする人が少ないから、
同じ名前ばかり度々出てくる始末になってしまうが、
杉浦日向子氏の試算によれば、最盛期、
江戸っ子は下戸や女子供を含めた頭割りで日に2合は消費していたらしい。
江戸っ子の気が短いのはいつもほろ酔いだったからじゃないか、
となかなか面白い推測をしている。

謎なのはこれだけ酒好きな江戸周辺で酒をろくに生産しなかったこと。
火山灰地の為に水がよくなかったという見解が多いが、
静岡方面に少し行けば富士の名水がいくらでも出る。

私見だが、気温と杜氏の影響が大きかったような気がする。
関東の冬は日本酒の仕込みには少し暖か過ぎる。
また当時、杜氏は季節労働者だが、江戸周辺まで足をのばすのは遠すぎ、
船の便で言っても血の巡りの悪い地相だった。
また、ここからは全くの想像になるが、
伊丹、灘、西宮辺りの酒造業者が杜氏の囲い込みをしていたとて不思議はない。

514 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/06/28(土) 21:33:22
江戸を流して歩く商売でユニークなのが、水売り。
文字通り冷や水を売って歩く。
少し甘味を付けた水だったか、氷は入るものなのか、
ずっと昔に何かで知ったきりなのでよく覚えていない。
誰か補足頼む。

江戸は水道水を使う町なので、水売りなんて商売もうなずける。

落語「唐茄子屋政談」では若旦那が唐茄子の流し売りをする。
唐茄子、カボチャのことだが、これを安倍川にして食うという表現がある。

安倍川は、柔らかく煮て黄粉をまぶした食べ方。
安倍川餅の安倍川と同じ用法。

どうも江戸時代の庶民は甘味に飢えていたようで、
みりんだの麦芽だの唐茄子だの、
少しでも甘味のあるものは甘味を引き出して食べたがる。

輸入品の砂糖を買う為の支出というのが、長らく幕府の頭痛の種だった。
時代的に言うと、折しも西洋ではカリブ海で
砂糖を馬鹿みたいに作っていた時期と重なる。

国産砂糖が一定以上の品質になるのが江戸後期。
和三盆なんて有名だね。
食べ物には関係ないが、国産生糸と絹が一定以上の品質になるのも江戸後期。
こちらは明治になってから日本の貿易決済を支え続ける。

もし江戸時代がなかったらと思うとぞっとする。


549 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/07/01(火) 11:18:45
江戸というと先ず蕎麦が出てくるけど
汁粉屋が多かったって本当?
あと、懐中汁粉なるインスタント汁粉があったとか。


556 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/07/02(水) 01:55:24
>>549
懐中汁粉は今でも和菓子店で売っているもんだよ。

562 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/07/04(金) 06:14:02
懐中汁粉は酒席の前などにこっそりと飲んで悪酔防止のために重宝されたらしい。
なんでもインシュリン量のウンたらカンたらとかで科学的に見ても効果があったとか。


677 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/08/17(日) 02:37:30
>日本の小麦がうどんに向かないそうだが…
江戸時代は、日本の小麦で作っていたから、風味も違うんだろうな

679 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/08/18(月) 04:20:36
>>677
小麦の主産地だった関東平野。
いまだに「武蔵野うどん」と呼ばれるものがありまして。
がっしりした食感、麦の色の麺、麦の風味は力強く。
白くてプリプリした現代うどんとは別モノです。
そもそもすいとんが主流だし。
お切り込みやほうとうとか、素麺とか冷やむぎとか麺類も普通にあるし。
つーか讃岐うどん屋が国産小麦を使わない理由は単純。
「高級で、つまり高価だから」


706 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/08/21(木) 15:26:30
所でおでんの起源はいつだろうか…江戸時代には既にあったのかな?

710 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/08/21(木) 21:40:04
>>706
古来から獣肉や魚肉を練って棒に巻き焼いた食べ物が存在していて、
それが田楽の原型となり、「面倒だから煮込んで作るか!」で、江戸時代に生まれたのがおでん。


711 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/08/22(金) 15:45:34
「おでん」は田楽の女言葉だそうです。お冷、お薄のたぐい。
田楽は食材を串に刺して焼いたもの。正確には田楽焼。
おでんは、串に刺してお湯で煮たもの。
どちらも味噌を付けて食べます。味噌田楽と味噌おでん。
そのうち、おでんは醤油味のだし汁で煮るものも出てきた。


754 名前:日本@名無史さん[age]投稿日:2008/08/30(土) 16:02:25
江戸時代は、「仕出し」所謂、作った料理を出前するのはすぐご近所だけで、
祝い事、宴席などでは、料理屋の料理人が材料を持参して、
会場に出向き料理を作って食べさせたそうですね。
もちろん、食器や膳も人数分運ぶことがあったそうです。


756 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/09/01(月) 09:07:52
>>754
江戸期に、料理人や配ぜん人を家に呼んで客を接待できるのは
富裕層に限られていたと思うな。庶民は無理。

で、そういう出張専門の料理人や配膳さんは、京都にまだ存在する。
配膳さんなんて座布団の配置から気を配ることになる専門職。
茶道に通じている人も多い。


760 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/09/03(水) 12:12:44
そういや鳥肉使った煮物で筑前煮や治部煮ってあるけど発祥は戦国時代かな?
それとも江戸に入ってからの料理かな?

761 名前:日本@名無史さん[age]投稿日:2008/09/03(水) 16:47:00
筑前煮は鳥を使いますね。意外と明治以降ではないでしょうか?
おそらく、大量に作れるので軍隊の給食にでも使われて全国に広まったと推測します。
原型の料理はおそらく筑前地方にあったのでしょう。

詳しくは無いですが、今のように大量の鶏を飼うようになったのは戦後でしょう。
それ以前農村では、みんな地面に放し飼いだった。
夜になると鶏は木の枝にとまって寝てたそうですよ。
これは、犬、狐、狸から身を守るためです。
雛だけは母鳥と一緒に土間に入れてた。

764 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/09/03(水) 20:24:09
1860年に外交使節としてサンフランシスコから大陸横断してワシントンに赴いた
新見・村垣・小栗、都合3ヶ月位は向うの食事だったと思われるが如何がだったか?

1862年にオールコック公使に帯同してロンドンに行った。渕辺徳蔵・森山多吉蝋も。
渕辺は日記に美味を連発して一向に不満な様子はなかった様だ。
当時の味噌・醤油は塩分多可で、何時も塩を喰ってるみたいだったから新鮮だったのか?

味覚に個人差はあるものの、台湾では炒め料理に辟易したが、アメリカではパンが不味かった
けど、イタリア系のピザは日本とは比較にならない程トマトに深みがあり、日本は薄い牛乳だ
がアメリカのはコクがあり、チーズも同様、やや固いがローストビーフはイケた。

口が驕っている我々より単純な塩味一辺倒な江戸人は日本食に未練もなかったのだろうか?


768 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/09/03(水) 23:28:16
>>764
誰だか忘れたがアメリカ行きの船中で日本人ではじめてカレーを食べた人は
まずくて残したそうだ。


770 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/09/04(木) 01:22:35
>>764
最初の使節はバターが旨いと感じた人と駄目だった人とに別れたみたいだね。
前者は食事に苦労しなかったようだが、後者はかなりつらかったらしい。
アメリカの料理って確かにほとんどバター使ってるもんね。
江戸の淡白な食事に慣れた人の一部はバターの油とコクが
受け入れがたかったのかもしれない。

という内容を読んだ記憶があるんだけど…
家にあるののどれかのはずだけどどの本か忘れたw


772 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/09/04(木) 18:33:06
>>770
いまじゃ滅多に聞かなくなったが、欧米風と云うのに
少し否定的な言い方で、「バタくさい」てのがあったなぁ


798 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/09/06(土) 08:17:53
江戸時代の初期、寛永30年(1643年)に、料理屋用に
印刷された料理書として出版された「料理物語」には、
海魚71種、磯草25種、川魚19種、鳥18種,7種獣、
きのこ12種、青物76種の料理が説明されており、
一般庶民は魚肉も獣肉も普通に食されていました。

799 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/09/06(土) 08:24:15
江戸時代は重農主義が基本、従って田畑を荒らす害獣を駆除する為ならば
代官所や各領藩の役所から鑑札を発行して貰えばOK。
無論、山間部や里山等に近い地域のみ、被害報告も併せて提出する必要性
があった可能性もある。

例外は綱吉の時代だけ。殺せないから脅かして追い払った。

827 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/09/12(金) 14:33:22
鳥食いは、結構野鳥が多いのかもね。
絵を見てると、鴨?雁?解らないけど?料理屋の店先に天井から吊るしてある。
もちろん、アンコウも吊るされてたりする。
そういうのが、江戸時代の風俗画に画かれています。

換金物である卵を産む鶏は、オスを除いてあまり食べなかったのでは?
そう言えば中国で雀は稲の害鳥だから、捕って焼き鳥にしてるのをテレビで見た。


828 名前:日本@名無史さん[]投稿日:2008/09/12(金) 15:45:46
久保田藩は比内鳥取り引きを統制してたらしいからね

839 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/09/15(月) 11:09:18
>>827
熊倉功男の「日本料理の歴史」では鶏を食する習慣は南蛮人の来航以来盛んになったもので室町時代には鶴とか白鳥とかが高級料理とし出されていたと書かれていた。

840 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/09/15(月) 19:19:53
>>839
正味、白鳥とか鶴は喰って美味いもんなんだろうか?
孔雀は鶏と味は変わらんが羽が美しい為、ローマ帝国時代は宴の席で珍重された
ってのは聞いたこと有るけど


842 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2008/09/16(火) 12:08:20
鶴は一夫一婦制だったり、姿も気高く見えたり、
また江戸時代以前から目出度い鳥でもあるので
そういう意味合いから縁起物として食べていたんだろ。



     
  1. 投稿日:2008/10/04 12:22[ 編集 ]
  2. 土曜8時の4チャンより素直に頭に入ってくる
  3. 投稿日:2008/10/04 13:36[ 編集 ]
  4. 要は今あるものの方がうまいって事だな

    現代日本最高
  5. 投稿日:2008/10/04 17:41[ 編集 ]
  6. >>221
    >昭和40年代の京都市内の旧家では
    >食後の茶碗に湯を注ぎ、お茶漬けさらさらして
    >あと拭いて(何で拭いたのかは失念して不明)
    >そのまま水屋に元通りにしまっていたそうであります

    この食器の片づけ方は禅宗の修行場で今でも行われる方法です。
    因みに禅宗寺院での抹茶碗の清掃方法は、上記のやり方の中のお茶が、お湯に代わるだけです。
  7. 投稿日:2008/10/05 02:57[ 編集 ]
  8. >>681
    >今食えば筋張ってスカスカで美味くないと思う
    >しかし昭和30年代までなら夏の御馳走


    夏には地元のスーパーでも手ごろな値段で売ってて、若いのは漬物に熟れたのはそのままおやつとして。なによりあの食感がたまらん。
    それともまったくの別物か品種改良か?
  9. 投稿日:2008/10/05 10:25[ 編集 ]
  10. >>827
    >そう言えば中国で雀は稲の害鳥だから、捕って焼き鳥にしてるのをテレビで見た。

    日本にも雀の焼き鳥って昔は普通にあったけども
    今でもあるところにはある
    最近は焼き鳥用に雀を取らなくなったから、雀は人が近寄って逃げ出す飛翔距離?が短くなってきてるとかどこかで読んだ
  11. 投稿日:2008/10/05 13:17[ 編集 ]
  12. おもろい
  13. 投稿日:2008/10/05 17:55[ 編集 ]
  14. おもしろいけど
    どれが事実で、どれがホラなのかわからん
  15. 投稿日:2008/10/05 19:16[ 編集 ]
  16. >※1007
    2ちゃんネタでそれを言うかね
  17. 投稿日:2008/10/05 21:41[ 編集 ]
  18. 芋煮、異論は認めない。
  19. 投稿日:2008/10/05 21:43[ 編集 ]
  20. 詳しいやつと知ったかの差が激しいのが2ちゃんらしい
  21. 投稿日:2008/10/06 00:03[ 編集 ]
  22. 獣肉ネタを繰り返していたのにももんじ屋は出なかったようだ。
    スレ内でも言われているが、獣肉は割とよく食べられていた。
    もちろん建前上は「品のないもの、下手物、特殊なもの」扱いで、ふつうお膳には乗らない。

    肯定理由:滋養がある、旨い、酒に合う
    否定理由:穢れ思想、血腥い
    今のイメージで言うと、上流階級から見たホルモン屋みたいなものかね。
    実際は旨いし栄養はある、しかし臭くて場末感が否めないから、大っぴらに「モツ焼きうめぇwwww」とは言えず、公文書にも残せず。方便として薬食いとコジ付けた。
  23. 投稿日:2008/10/06 05:56[ 編集 ]
  24. ごまかすの語源は安い菜種油に高価なゴマ油を少量入れて香りを付け「ゴマ油だ」と偽って売る事だと聞いた覚えが
  25. 投稿日:2008/10/06 11:12[ 編集 ]
  26. つーか、こういう情報が玉石混合でごっそり集まってくるのはさすがというべきか・・・
  27. 投稿日:2008/10/06 11:39[ 編集 ]
  28. 時代は変われども旅行などのイベントでの食事はたのしみだな。

    江戸時代での旅行といえば湯治(子作りの義務?で子宝の湯)や寺社へ参詣(願掛け)名目の物見遊山か。
  29. 投稿日:2008/10/06 11:42[ 編集 ]
  30. 凄く気になってたんだがいいか。
    そもそも日本語がヤバイ人間が何人か混じって無かったかこのスレw
  31. 投稿日:2008/10/06 12:20[ 編集 ]
  32. 伝聞ならではの面白さですな。
    記述されていたとしても2chレベルの俗書だし
  33. 投稿日:2008/10/06 16:51[ 編集 ]
  34. まあオモロイと思ったら自分で調べればイイわけだし
    ソコでウィキペをアテにすんなよw
    アレも大概だ
  35. 投稿日:2008/10/06 19:22[ 編集 ]
  36. アタシ武士だけど
    コソコソ食べるのが美味しいし
    楽しみなのよね♪
  37. 投稿日:2008/10/06 21:48[ 編集 ]
  38. 昭和30年とかならともかく
    江戸時代から生きてる人間なんて少ないだろうから、いろいろ嘘ぽいの混じるのはしかたないな
  39. 投稿日:2008/10/07 03:38[ 編集 ]
  40. 江戸時代から生きてたら化け物ですがなw
  41. 投稿日:2008/10/07 07:07[ 編集 ]
  42. ※1019
    お前の周りには江戸時代から生きてる人がまだいるのか・・・w
  43. 投稿日:2008/10/07 09:52[ 編集 ]
  44. 岩波の幕末百話だか明治百話だかにのってた「あぶたま」
    がおいしそうなんだよな、今度つくってみるか
  45. 投稿日:2008/10/07 19:29[ 編集 ]
  46. 雀の焼き鳥なら今でも伏見稲荷で売ってるよ
  47. 投稿日:2008/10/08 12:23[ 編集 ]
  48. 江戸時代だったら納豆汁だろ。
    朝の基本は納豆汁と聞いている。
  49. 投稿日:2008/10/08 13:24[ 編集 ]
  50. 吉宗が「三食は腹の驕りである。二食でよい」と言ったそうで、
    その頃には(少なくとも上級武士の間では)三食の習慣が
    普及していたことをうかがわせる。

    あと少し古い小説を読むと「昼食」でなく「中食」とか、
    「弁当をつかう」などと言った言い回しがあって面白い。
  51. 投稿日:2008/10/09 20:15[ 編集 ]
  52. >>756
    明治百話か幕末百話か忘れたが、江戸時代に料理の仕出しを考えた人についての回想が載っている
  53. 投稿日:2008/10/09 22:12[ 編集 ]
  54. マクワおいしいよ
  55. 投稿日:2008/10/10 01:04[ 編集 ]
  56. 江戸時代の文化って調べると面白いね
  57. 投稿日:2008/10/10 04:08[ 編集 ]
  58. 「胡椒飯」とかネットを頼りに炊いてみたことあった。
    胡椒の炊き込みご飯w
    正確な分量調べるのに偉い苦労した。「江戸時代の小さじ」ってどんくらいだ? みたいな。

    結構美味かったよん。
  59. 投稿日:2008/10/10 06:01[ 編集 ]
  60. 江戸時代の情報の乏しきとおぼしきなれど
    食い物ネタであればこれほど盛り上がれるとは
    日本人、あなどりがたし。
  61. 投稿日:2008/12/06 00:58[ 編集 ]
  62. >>195は、目黒の宿場で、お忍びでサンマを食べた殿様、
    後で家臣に作らせたらしっかり油を抜かれていて、
    「サンマは目黒に限る」って落語であったような。

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