あなたのおじい様の戦争体験をおしえて[その8]  はてブ  はてぶ

引用元:軍事板「あなたのおじいさんの戦争体験を教えて その6」
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1092368845/

11 名前:名無し三等兵[]投稿日:04/08/13 19:32 ID:dSrFsRFG
赤紙で招集された祖父と友人は、とある駐屯地にやって来た。
二人は練兵場に整列させられていたのが、その時友人は同時に招集された知人を発見した。

友人は列から離れて知人の所に行ってしまった。
祖父は『ここに整列してなきゃ駄目だろ』と声をかけたが友人は聞かなかった。

その後、召集兵達の真ん中に一本のロープが渡されてしまった。(ウルトラクイズの東京ドーム予選みたいに)
一本のロープで仕切られた召集兵達は別々の部隊に配属されてしまった。
そして祖父と友人は別々の部隊に・・・

友人の部隊は硫黄島への補充兵に動員されて全員が戦死したという・・・

「あの時無理矢理にでもこっち側に連れて来るんだった・・・」と祖父は悲しんでいた。


22 名前:名無し三等兵[0]投稿日:04/08/13 22:43 ID:???
零式に乗ってたってよ。ションベン弾が一発当たれば敵機は木端よ、とか誇らしげに語ってたけど
実際に撃墜したのは11機。多いのか少ないのかわからんけどな。皮の飛行帽と長靴、訳の解らん
勲章が3つ。白黒の何処かの南方基地で零戦と写ってる写真が一枚残ってるだけで、今となっては何も
わからん。死んじまう前に話しきいときゃよかったなぁ.....

38 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/08/14 01:52 ID:???
じーちゃんは朝鮮総督府の外交官だった。
同じ皇国臣民と言えど、やはり朝鮮人をバカにする日本人も多かったらしいが
じーちゃんには一切そんな部分はなく、朝鮮語も話せたため
(他の外交官は日本語オンリーだったとか)
朝鮮人からの人望が厚かったらしい。
引き揚げ時にも特に悲惨な目には遭わなかったとか。

そのせいか俺の母親や祖母も朝鮮人を高く評価していて
(朝鮮人の子供はめちゃめちゃ頭が良い、とか)
嫌韓の気がある俺とは話が合わない。

40 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/08/14 02:05 ID:???
>>38
あ・・・俺の曽祖父も同じ、
総督府直属かどうかは知らないが、朝鮮の土地の管理をやらされてた、
リベラルな人だったらしくて朝鮮人を蔑視したりはしなかったとか
>>38の爺ちゃんの証言と同じで、やはり朝鮮人を見下す日本人は結構居たらしい)

ただしウチの婆ちゃんは原爆投下後、土地関係がグジャグジャになった広島での土地関係で
在日と丁々発止やった経験からか、特に親韓と言う訳ではない(寧ろ人間不信のきらいが強い)

85 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/08/16 18:49 ID:???
家のばぁちゃんのじぃちゃんだか何だかが
第一次世界大戦の時の大佐で海軍のえらい人だったらしい
でもばぁちゃんは余りその話をしない
戦争を誇らしくは思っていないからだろう

今日、昼の番組で戦争のことをやっていて
それを見たばぁちゃんが言っていた
「辛かったねぇ・・・食べるものが無くて道に生えてる草まで食べたんだよ
 スイトンを食べたなんていってるけどそんな贅沢なものは無かったねぇ
 防空壕って言うのもちゃんとした穴じゃなくて・・・
 家の周りは掘ると水がでてきてさ、体半分水に浸かって空襲に耐えたんだよ
 焼夷弾が落ちてくると地響きがして怖かったのなんの・・・」

家のばぁちゃんも今年で90になった
今の楽しみは『みのもんたのやつ(午後は○○のことらしい)』
『クイズミリオネア』『ポチたま』だ
ミリオネアは500万になるとドキドキするから止めた方がいいよと言う(笑

昔、辛かった分だけ今は楽しんで欲しいと思う
長文スンマソ

120 名前:名無し三等兵[]投稿日:04/08/19 15:13 ID:Fo2PX4ib
B-29を見たときに、あまりに綺麗な飛行機なんで驚いた。
あれで日本の負けを確信したそうです。

しかし、それ以上に驚いたのが、戦前の日本では、許可が下りれば
軍用機に子供を乗せて飛ばせてくれたそうです。
親族にパイロットがいて、飛行機に乗せてやるよと言われて
喜んで出かけていったという話を聞きました。

145 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/08/20 19:22 ID:???
うちの爺さんはもう亡くなったが、戦争中は南方で軍属だったらしいよ。
爺さんは気さくな人で、出発する時にはリュック一杯の医薬品を持って行ったんだ。
それで現地の人が体を悪くするとそれを分けてあげてたんだね。
他の人達は現地の人には辛く当っていて凄く威張っていたらしいけど
敗戦の時には日頃仲良くしていた現地の人達から匿われて
他の日本人達が襲撃されて殺されたりしても何とか生き延びられたと言っていたよ。
特に憲兵達は仲間からも恨まれていて、敗戦のドサクサで相当やられたらしいよ。
うちの爺さんはそんな中、現地の人に見送られて無事に生還できたんだよ。
やはり口では大東亜共栄圏とか奇麗事を並べ立てても
いざとなると支配する側とされる側とでは酷い仕打ちも行われるから
それに乗せられていた人達は敗戦で立場が入れ替わると無残なことになる。
それでお爺さんはまわりが何と言おうと人には良くしておけと言うのが口癖だったよ。
お爺さんが生き延びてくれたおかげで俺も生きているんだからね。
俺もつくづくその言葉を忘れないでいつまでもいたいと思っているよ。

158 名前:名無し三等兵[]投稿日:04/08/21 11:39 ID:mPGz9IK+
漏れの祖父は海軍の将校で、ジェット戦闘機の燃料を開発するための
工場の設営を指揮していて、敗戦直後は戦犯として訴追されるのを恐れて逃げ回っていたと祖父の妹さん
(これってなんて言うのかな?)が言ってた。
でも祖父本人は最期までそのことは言わなかった。
どうにかして知りたいんだけど、何か方法あるかな?

159 名前:名無し三等兵[]投稿日:04/08/21 13:48 ID:4q8PAk2V
工場の設営指揮は戦犯にならないよ!

169 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/08/21 21:14 ID:???
>>158
ありえる話としては、工場設営のときに設営労働させられていた
アメリカ兵捕虜を虐待した、ということでしょうね。
アイツに殴られた!とかいじめられたとか米兵に名指しされたとか。

170 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/08/21 21:19 ID:???
国内にも南方で捕虜にしたアメリカイギリスオランダ兵がいっぱいいて
強制労働させられてたから。そのときに捕虜の扱いが悪くて捕虜が
大勢死んだとか、そういう戦犯もあるよ。

171 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/08/21 22:33 ID:???
その虐待のことだけど内地でもあったんだそうで
東京都下の某市で起こった話だけど
ある時アメリカ軍の戦闘機が墜落して乗組員が捕獲されたんだって
それで街の人達が小学校の校庭に集められて
校庭に引きずられてきて縛られている乗組員に向かって
みんなで殴ったり蹴ったり石を投げつけたりして殺したんだと。
それで戦後になるとその集いに参加した人は密かに米軍により連行され
多くの人はしばらくは帰ってこなかったそうだよ。
多分責任者は捕虜虐殺で処罰されたんだろうね。
そのことは街の汚点として誰も口にしなくなったので
今では知っている人は殆どいないんだろうな。

172 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/08/22 03:16 ID:???
>>171
静岡県の東部の市での事ですが
同じような事があったそうです。
殺した後は蜘蛛の子を散らすように逃げたと聞きました

207 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/08/24 23:41 ID:???
うちの婆さんが言うにはB-29の搭乗員が撃墜されて
落下傘降下して降りてきてもリンチはしなかったみたいね。
それどころか御婦人方が「お可哀想に」と同情までしてたらしい。
まあ都内だけど爆弾落ちなかった所だしな。

165 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/08/21 19:38 ID:???
漏れの死んだ爺ちゃんは、立川基地で航空機開発してたと自慢げによく話
してた。ピカピカのジュラルミン地肌の飛竜があって、その機長は、中国
大陸の歴戦の呑龍パイロットで、「いくぞー」の合図で宙返りやったとか
言ってた。本当かどうだかは判んないけどさ。
一番嫌いな米軍機はP−51。よく追いかけられて、空中退避の時は遠く
北海道まで逃げたとか。親父が子供の頃、P−51のプラモデル作ったら
理不尽にも叩き潰されたとかwいま親父が若い頃に作った爺ちゃんの飛竜
と浜松基地から散って行った飛竜がひっそりと本棚に飾ってある。こいつ
らを見ると死んだ爺ちゃんを想いだすよ。
漏れには優しい爺ちゃんだったな。

250 名前:実の祖父ではないが[sage]投稿日:04/08/29 12:21 ID:???
檀那寺の亡くなった先代の住職が、「間諜」とゆー奴だったらしい。
俺のうちは檀家総代だったので仲がよく、よくお寺へ一緒について行って話を聞いた。

工作資金はI財閥の金を使い放題、ポツダム宣言受理の情報を知った時には上海にいて、
凄い勢いで土肥原機関の巣へ行き、海軍士官の制服証明書一式手に入れて、出航する
駆逐艦に便乗して帰国したそうな。
その他まさにとんでもない話をいくつも聞いたが、個人同定されると今でも遺族に
迷惑が及びまくるのでとても書けん。
しかも、入り婿の現住職によると、「戦時中の話は墓場まで持って行く」といいながら、
俺の知らない超ヤヴァ目の話を幾つもポロっとこぼしたりしてたらしい。
ネタ? って思うだろ? 実は証拠もある。(ああっ、しかし言えないんだょぅ!)

ちなみに、M資金は当然ながらネタだと言っていたw

257 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/08/31 17:11 ID:???
おれの親父の話であるが、親父は,中国沿岸部の海軍航空隊基地に居たとのこと。
基地に着いたとたんに96陸攻がP-51に追われて緊急着陸してきて、
搭乗員はすぐに降りて逃げたが、陸攻を押して退避させようとした
整備兵が機銃掃射をくらって5,6人死傷したとのこと。
親父が、厚いコンクリの壁の影に隠れていたら、海軍航空隊基地と、
隣の陸軍航空隊基地とで、来襲したP-51の12機全機撃墜したとか。
その後、2度目の空襲があって、P-51が6機で攻撃にきた。
基地をしつこく攻撃してくるので、丘の上に機銃を据え付けて撃ってやろうとして、
近くに居た整備士に声をかけて弾薬を持ってついてくるように言ったら、
この前のとき仲間がやられているせいか、怯えてついてこなかった。
仕方が無しに、車に7ミリ7の機銃と弾薬を乗せて丘まで行って、機銃と弾薬を下ろし、
担いで、丘を上っていくと、P-51が基地の周りを旋回しながら攻撃しているのが見えたが、
一機一機、煙を引いて飛んでいくのやら、いきなり制御を失って落ちていくのが見えた。
後から聞いた話だが、陸攻の機銃手で腕のいいのが居て、皆がその射手のところに集まって
命中するたび、歓声をあげながら見ていたそうな。
最後の一機は,隣の陸軍航空隊の基地をを避けるように、親父が上っている丘を掠めて逃げて
いったとのこと。
そのとき、ヨーロッパ人特有の赤く、長い顔の操縦士が間近にはっきり見えたといっていた。
そんな親父も、もう78才になった。

264 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/09/01 19:36 ID:???
うちのじいちゃんは高射砲の部隊に所属していて、
インパール作戦に参加したそうです。
出征のとき、母親の写真を持っていったようなんですが
作戦中に失くしてしっまったそうで、
「身代わりになってくれたのかもなぁ。」
と言ってました。
あとP-38のことを、下駄履きとよんでいたそうです。

265 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/09/01 21:10 ID:???
???何故にP38を下駄履き???水上機を下駄履きと呼ぶのは聞いたことがあるが。
でっかい増槽をつけていたからだろうか?

266 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/09/01 21:37 ID:???
>>265
うちの叔父もP38を「下駄履き」と呼ぶ。
大陸・ビルマ時代は出会わず、本土防空戦で対峙したときの
P38は偵察機型が多かったらしい。
それがでかい増漕をぶらさげていたうえに、仕掛けても捨て
ないんだそうだ。

271 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/09/02 22:26 ID:???
うちの爺さんは昭和11年に召集された。
まだ誰でも彼でも徴兵する時代ではなく、
チビなので、甲種合格にはならないと思っていたら
なぜか見事合格!おっめでとーございまーーーーす!
入隊していきなり下士官から
「お前は間違えて軍隊に来たな。
こんなチビが来るようじゃ帝国陸軍も終わりだな」
と言われ、
「来たくて来たんじゃないわい!」
と思い、それ以来陸軍が大嫌いになった。

それでも、すばしっこくて要領が良く、ずっと最前線暮らしだったから
トントン拍子に軍曹に昇進(奇跡的超破格の待遇)
普通は1年で上等兵にしてもらっただけで、連隊長から
「お前は間もなく除隊だが、志願してくれや」
と言われると断れないくらいの恩義があるのに
「残ってくれんか」
「除隊するであります!」
とトンズラした。

282 名前:名無し三等兵[w]投稿日:04/09/03 22:25 ID:???
ジイ様でなくて、バア様の話で申し訳ないが。
バアさんは大正一桁の生まれだが、台湾で生まれた。父親(ひいジイさん)は、
当時の文部省から台湾に派遣されて、日本人学校の教員をしていたそうだ。
戦争中の話だが、内地で食料や生活雑貨などが不足していた頃、当時の植民地
であった台湾はどうだったか。台湾では米が2〜3回収穫できるし、砂糖やバ
ナナ・フルーツ類は、輸出できるほど取れる。しかし、それらを日本に運ぶ船
は米潜にやられるので、運べない。倉庫にしまうと、空襲を受けた場合に小さ
な爆弾1発で全部やられかねないし、砂糖や米は燃えると消火が大変!
で、各家庭に分散貯蔵とかでとても食べきれない量(特に、砂糖は物凄い量だ
ったとのこと)が配給された。内地が食うや食わずで困窮していた頃、台湾で
は飽食の世相になっていた。空襲も思ったほど酷くなかったらしいし、米軍の
上陸も無かった。台湾は、当時の日本領のなかでは一番良い所だった。

288 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/09/05 23:29 ID:???
爺さんが連隊長の当番兵だった頃、中国戦線での話。
連隊一の嫌われ者だった××准尉が、戦闘中太股を後ろから撃たれた。
とにかく兵隊いじめが好きな准尉だったそうで、
普通、准尉ともなれば叩き上げなんだから、兵隊の気持ちなんて分かってるはずなのに、
××は苦労すればするほどダメになる人間の典型だったそうな。

兵隊の親玉である准尉が撃たれたともなれば、連隊長も見舞いに行く。
××は病室で連隊長を見るなり
「味方に撃たれたでありますううううううううううう」と泣きを入れた。
すると連隊長は鬼のような形相で
「バカなことを言うなあああああああああああああああああああ!」と
大喝した。
さすが軍隊暮らしが長いだけあって、一発で理解した××はうつむいてしまった。
敵に撃たれたら名誉の負傷だが、味方に撃たれたとあっては
帝国陸軍の恥さらしだから。
射入口と射出口から弾道は分かるので、すでに連隊長に真相は届いていた。

××は除隊となった。
威張り散らせる天国から、娑婆へと送り返された。
真っ直ぐに歩けなくなった体で。
命があるだけ儲けもんだろうか。

爺さんは、テレビの反戦ドラマで兵隊イビリのシーンを見る度に
「こんな上官じゃ味方に殺されちまうよ」
と笑ってた。

304 名前:名無し三等兵[]投稿日:04/09/07 01:42 ID:Y9Lpwk4q
誘導されてきました。

マラリアで身動きできず、重傷者と共に置いていかれるのを覚悟したとき
南無阿弥陀仏、南無・・とお経が聞こえたので声にならない声を上げたら
別の部隊の上官で、おんぶして連れ出してくれた。
しかし目の前にいた重傷者の戦友は助けられなかった、無念だと。

そしてニューギニアから生きて帰ってこれた、あの坊さんのお陰だと
戦友会を通じ、坊さん兵を随分探し回ってもらったのですが、手がかりはありません。
既に西方でお会いされたかわかりませんが、爺に代わりお礼を。

309 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/09/07 12:24 ID:???
軍人・軍属じゃないけど満鉄の技師で大陸に渡ってた。
終戦が近くなって本土に帰ろうとした時
懇意の中国人が送別会を開いてくれたが
何故か赤痢にかかり、死にかかったらしい。

その後ソ連軍に捕まり、どこかに移送されそうになったらしいが
捕まっていた日本人医師と知り合いになり
嘘の伝染病の診断書を書いてもらい釈放されたと言っていた。
やはりこの時期のことは語りたくないらしく
これ以上は詳しく聞けなかった。

310 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/09/08 00:41 ID:???
勇ましい軍人さんの話ではないので恐縮だが、戦争体験ということで…
うちの母親は昭和20年国民学校入学だが、入学早々アルマイトの「おかず入れ」
を供出させられたそうな。さすがに弁当箱だと弁当を持っていけなくなるので
おかず入れだったのだそうで、おかずはご飯と一緒に弁当箱に入れて持っていった
らしい。
「まったく…小学生のおかず入れ取り上げて飛行機作らなきゃならないようじゃ
勝てるわけないよ」と、今でもしみじみ語っている。

372 名前:名無し三等兵[]投稿日:04/09/15 12:52:58 ID:IfI5E4kV
うちのばあちゃん、防空壕に間に合わなくて
銀色に光る戦闘機(たぶんP-51)に狙われたって言ってた。
足のぎりぎりのところかすめたんだって。
あと、そのパイロットと目が合ったって言ってた。
子供だろうってくらい若かったらしい。
戦後、進駐軍のトラックに満載された兵士たちに「ママサン」と呼ばれ、
手を振られたけど怖くてシカトしたのだそうだ。
こっちもみんな子供みたいに若かったって言ってた。

387 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/09/15 22:44:19 ID:???
うちの祖父は戦争中海軍にいたがヒマだったので毎日ラムネを焼酎で割って飲んでいたそうだ。

392 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/09/16 23:23:51 ID:???
悪運が強い香具師ってのは、本当に強いみたい。
中国・ビルマで戦った叔父の部隊に、僚機の未帰還率が高い
小隊長がいたそうだ。
オレに続けと翼を振って、優勢な敵編隊のど真ん中に目がけ
て突っ込んでいく。
のは勝手だが、後続は大変だ。
マジすか?なんて躊躇するまもなく撃たれまくってアボン。
くだんの小隊長は「九死に一生」みたいな顔はしているけど
無傷で帰還。

393 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/09/17 01:47:25 ID:???
>>392
なんでやねん・・・・

399 名前:392[]投稿日:04/09/17 23:38:44 ID:oDR25t88
叔父がその小隊長を毛嫌いするワケがあって、本土へ移動してきて
からのこと。
数機でフェリー飛行中に、海軍の特攻機とすれ違ったのだと。
目的地について談話していると、話題が特攻隊のことに。
くだんの小隊長「死んでもしかたがないという作戦は何度もこなして
自分は生きている。しかし、必ず死ぬという作戦では自分の武運を
もってしても・・」みたいに語ったんだとさ。
自分が何人の僚機の命と引き換えに生き残ったのか、まるでわから
ずに武運のおかげだと信じている。

402 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/09/18 20:04:17 ID:???
>>399
叔父さんの気持ちはよくわかるし、戦友も沢山失ってるから小隊長への思いも
理解できるけど、やっぱり小隊長は小隊長なりの武運だと思う。
坂井三郎さんのように列機を傷つけなかった隊長というのは稀だったんじゃないだろうか。
全てが計算ずくの空中戦なんてないだろうし、優勢な敵編隊を前にして引き下がることが
出来る状況じゃなかったのかもしれない。責任者と部下では命令を受ける立場も
違ってくるかもしれない。

404 名前:名無し三等兵[]投稿日:04/09/19 15:26:55 ID:VfrDAhKt
じいちゃんに聞いた話
シナの北支にいたそうで、いつも何十キロも歩いていたそうです。
行軍中に脱落するとゲリラに目、鼻、耳などを削ぎ落とされて殺されるそうで
必死に付いて行ってたとの事、シナのゲリラを処刑するとき銃剣で刺すらしい
のですが一突きで仕留めないと、もう一人突かされるそうで処刑のある日は飯
が喉を通らなかったそうです。(ゲリラは処刑が原則だった)
古兵が威張っていて、タン壺のタンを飲まされた人や、制裁のしすぎで亡くな
った人も(名誉の戦死にしたとか)・・・・・・・
じいちゃん達初年兵は、古兵に食事を運ぶ際、味噌汁に頭のフケを掻きこんで
「一番旨い所を持ってきまた。」と言って食べさせていたせたそうです。(・∀・)ニヤニヤ
私は中国人は大嫌いですが、日本軍内部の話を聞くとガッカリします。過剰な
制裁を与えなくとも兵たちは立派に戦かったと思います。日本人ですから!
じいちゃんの話の締めくくりいつもこうでした。・・・・・・
    「敵を憎いと思ったことはない、古兵は本当に憎かった。」

405 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/09/19 16:04:56 ID:???
>>404
長い戦争を経て士気が崩壊し始めた軍隊って、そんなもんらしいからなあ。
ウチの祖父は予備士官だったが、迂闊な制裁は出来ない、
そんなことをしたら後から弾が飛んでくると言っていたのが、印象的だったよ。

417 名前:405[sage]投稿日:04/09/20 00:56:25 ID:???
うちの祖父は原隊が広島第五師団だったけれど、
将校教育を受けて衛生少尉に任官してからは、色んな部隊を転々としたらしい。

軍隊内のしごき、いびりは、似たような話を聞かされたよ。
柱にしがみついて蝉の真似をさせられるミンミンゼミとか、
女郎の真似をさせられたりとか、二つの机に手を着いて空中で自転車を漕ぐ真似とか。
士官候補生として下士官の階級を与えられてた頃、自分もやらされたとか。

それだけに、自分が嫌だったことは他人にしたくはなかったし、
何よりそんな古兵や将校は長生きできないよ、と言っていたわ。

大陸戦線にずっといた祖父だが、補給もご多分に漏れず酷かったらしく、
最終的には支那服と支那靴を身につけ、敵の武器弾薬で戦っていたとか。
後方からは何も来なかったと笑ってたなあ。

408 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/09/19 19:06:05 ID:???
ウチのじーさんはヒマだったから毎日ラムネを焼酎で割って飲んでたそうだ。

って前も書いたような。

414 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/09/19 23:22:29 ID:???
ほとんど戦争について語ってくれないじいちゃん。

戦争中は、重巡、軽巡に乗ってたそうだが、艦名までは教えてくれない。
親父にも話さないらしい。
俺が軍事にのめり込んで(といっても「軍オタ」とまでは行かず、「軍好き」くらい)
行くのがあんまり気に入らないみたい。

この前俺がこの軍板を見ていたときに、「何見てんだ?」と、
俺が色々説明。(見方等)
「ちょっと見せてくれ」と、
3,4時間PCの前に張り付いてたよ。
俺が「どうだった?」
じいちゃん「あれだな・・・実際に経験してない奴は色々言えるな・・・戦争の怖さってのは、確かに経験しないとわからんからな」と、
その時のじいちゃんの背中は何かさびしそうに見えた。

440 名前:名無し三等兵[]投稿日:04/09/21 21:22:49 ID:Xnhpddgg
じい参ではないが病室で一緒になった人の話。
 シベリアに抑留されたそうな。冬は小便したのがそのままツララに
なるというのはちょっと誇張だ,でも直ぐ凍るという。
 便所は穴を掘り現地松の木を渡し大をする。冬は凍てつき重なって
ケツに触りそうになるのでツルハシで削る,その際口や顔に氷便がは
ね付くという。
 本当に飢餓状態になると,毒キノコを食べても中毒しなかったとい
う。これは南方へ出兵した近所の人が米軍が捨てた膨らんだ缶詰を食
べても腹を壊さなかったという話に似ていた。

457 名前:名無し三等兵[]投稿日:04/09/23 13:42:20 ID:4GlJlqtH
内の祖父は中国に行っていた軽機関銃手だったらしく、他の兵隊より
敵の弾がよく飛んで来たらしい一度は耳のすぐ横をキューンと横切る音が
聞こえ、びっくしたそうだ。
敵が200人ぐらいで奇襲して来たら祖父達は15人ぐらいで迎え撃ち
いつも追い返してたそうだ。
中国の兵隊と言うと、いつも逃げ回っていて臆病なイメージがあるが、
個々の人間は勇敢らしく便衣兵を処刑する際あと数分で自分が殺される
という時でも「タバコをくれ」などと言ってケロリとしていたらしい。
祖父はどうにか無事に招集期間を過ぎ日本に帰ったが、間もなくして
2度目の召集令状が届き鹿児島に配備された。
この時は、銃は配られず手榴弾2つだけで肉弾攻撃?の練習ばかりしていた
そうで、さすがに祖父もこの戦争は負けると悟ったそうです。

南方での話が少ない様ですが、やはり生き残った方が少ないからでしょうか?

481 名前:名無し三等兵[]投稿日:04/09/24 21:01:12 ID:8flL9/9d
うちのじいちゃん、もう死んじゃっていないんだけど、満鉄に勤めていた。
生前、どんな仕事をしていたのか聞いたら、「うわさ話を集めたり、盗み撮り
したり、盗み聞きが仕事だった。」と言っていました。満鉄って鉄道会社ですよね?
なのに、何で探偵みたいなことするのか不思議です。ってか、嘘だろ!じいさん!!w

486 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/09/24 21:34:12 ID:???
>>481
満鉄が、独自の情報機関を持っていたのは本当。
満鉄調査部で検索すると、いろいろと面白い話が見つかる。

まあ、あなたのおじいさんが調査部にいたかどうかは調べようのない話ですが、
満鉄の平社員だったとしても当時としては超エリート。

中日を過ぎたとはいえ、まだお彼岸ですので、お墓参りに行ってあげてください。

520 名前:名無し三等兵[]投稿日:04/09/25 12:34:01 ID:BV/gUWQ2
義眼を隠して旭川に徴兵検査に向かい、医者に隠して合格しようとしたが見つかり不合格、
それで、地元の防衛隊(?)みたいな組織の一員になった。

徴兵検査の不合格は末代までの恥と思っていたらしく、
その一緒に受けた仲間はどうなったかは、ただ潜水艦で全滅しただけとしか語らなかった。
でも、国のために防衛隊として働いた空襲の時の様子は語ったね・・・。
空襲で一番多かった死は防空壕での一酸化中毒死だそうだ。
あと、家から300メートルぐらいに落ちた爆弾で家の畳が浮いたという話を聞いたよな。

571 名前:名無し三等兵[]投稿日:04/09/27 03:20:58 ID:W+DHwzOZ
ウチのグランパじゃなくてグランパの弟の話ですが、
私服を着て上海あたりで共産主義者をピストルで撃ち殺すような仕事をしてたとか(;・∀・)


本人からは小六のころに聞いたハナシ(今は亡くなりますた)なので詳細は覚えてませんが
いったいどこに属してたのでしょうね?

574 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/09/27 08:02:02 ID:???
祖父の弟が陸軍中野学校にひっぱられて、戰時中、大陸でスパイをしていたという
ファミリーサーガを自分が聞いたのは、25年前くらいのことです。
その頃は「中野学校」も、すでにメジャーな存在だった気がします。
神童wといわれた祖父が、兄弟一頭が良かったと認めたほど出来のいい弟だったので、
自分は、なんとなく、中野学校=優秀というイメージを持っていました。

祖父弟は、戦中は、家族に一切居場所を知らせず活動し、戦後も、家族には
ほとんどスパイ活動についての話をしなかったそうです。
でも、>571さんのような話がサーガの一部として受け継がれているw

589 名前:574[sage]投稿日:04/09/27 23:22:08 ID:???
今日、祖父に聞いたところ(祖父弟はすでに故人)、祖父弟は大陸ではなく
平壌で、「情宣」(情報宣伝活動?)をしていたそうです。
「偽ウォン札」を印刷して、貨幣流通量をコントロールしたりもしたそうです。
「偽札」といっても日本政府(日本陸軍?)がつくるので、
韓国政府が正式に発行するものより、「真札」らしい?とのこと。

韓国政府は日本の傀儡政権だと思っていたのですが、さらにその裏で
撹乱活動をする必要があったのでしょうか。よくわかりません。

594 名前:名無し三等兵[age]投稿日:04/10/01 16:42:12 ID:???
前回母の実家に帰った時に、祖父とアルバムを見ました。
戦時中の写真を見ていて「足にグルグル巻いてないね」って
聞くと「ブーツみたいなの履いとるじゃろ」って言って
「帝都大戦」(とかいう映画)みたいな格好した写真を見せてくれました。
コスプレみたいでちょっと笑えました。
しかも顔が俺とそっくりだ、なんて二人で笑ったのですが、
「色んな所に行ったん?」との従兄弟の問いに
「ああ、日本は世界中とケンカしたんじゃ」って答えてました。
普段、寡黙な人だけに答えもシンプル杉。

595 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/10/01 17:03:11 ID:???
うちの爺は当時広島で東洋工業に軍需の木箱を収めていた
39や99式小銃を入れたりしたのだろうか?
長男は満州で陸軍歩兵次男と婆さんは家業の紙箱作っていた
親父は10歳で木箱の釘うちの手伝いをしていた
原爆が落ちた時に爺と親父は東洋工業の近くの工場にいて助かったらしい
詳しい話は聞いたことが無いがとにかく運が良かった
ちょっとの時間のズレで俺はここに居ないことになるからね
爺の家は平和公園の中にあった。
婆と次男は死んだよ。

596 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/10/01 21:14:51 ID:???
大陸→ニューギニア→レイテ→沖縄→樺太。
これが俺の祖父ちゃん。

598 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:04/10/01 21:38:48 ID:???
>>596
ソーゼツだな。
ウチのじいさんは戦争中脱腸になって手術して緑色の寒天みたいなウンコが出て珍しいから写真撮られたって自慢してる。

602 名前:名無し三等兵[6]投稿日:04/10/01 22:33:47 ID:???
俺のじいちゃんじゃないのですが、パソコン講座で知り合った初老の人から聞いた話です
俺「へえ1940年に生まれたんですかじゃあB-29とか見たこと有りますか?」
その人「私は見なかったけど親戚の人が墜落した(B-29)破片拾ってきて下敷きに使ってたなぁ」
俺「し、下敷きですか・・」他にもこんな人いるんですかね?

605 名前:名無し三等兵[]投稿日:04/10/01 23:46:21 ID:rq+wQ4VF
工兵少尉だった親父に言わせると 兵隊を徹底的にいじめたのは
憎しみを植え付けて 平気で人が殺せる兵士 {人間}を造るためだ
といってた。

606 名前:名無し三等兵[]投稿日:04/10/01 23:57:00 ID:mls/ceHG
>>605
疑問点がある再確認してみな、あっ御免内地か。
野戦では、そんな馬鹿いないよ。

607 名前:名無し三等兵[]投稿日:04/10/02 00:44:30 ID:St1nPNWA
うん 戦争が終わって 引き揚げ船に乗る時も
 部下をひどい扱いにした上官は袋だたきにされて
 船のそばの海に捨てられたらしい。それでも戦死ということで
 処理されたって 目の前の船に乗れば日本に帰れたのに。

612 名前:名無し三等兵[]投稿日:04/10/02 01:35:56 ID:M4LYeJNz
俺の叔父さんの話。
霞ヶ浦空(谷田部空・筑波西空かも)と米艦載機の空中戦をしばしば見たそうだ。
グワーッと黒煙をなびかせながら落ちていくのは米軍機。
パァッツと火の玉になってしまうのは日本軍機だったそうだ。
皆で、やられ方で見分けたと言っていた。

631 名前:鹿[]投稿日:04/10/02 06:41:34 ID:FDrdNhqo
うちのひいじいさんは大正天皇の近衛兵だった。
式典用の制服を来て、馬に乗ってる立派な写真が
大正、昭和、今上天皇の写真と共に飾ってあった。
ひいじいさんの子供や親戚は皆陸軍に行き、南方、支那、沖縄で散っていった。
残ったのは女ばかり。
唯一残ったじいちゃんの家も女しか生まれなかった。
じいちゃんの家はじいちゃんの代で途切れようとしている。

関連エントリー:
あなたのおじい様の戦争体験をおしえて[その7]

     
  1. 投稿日:2008/08/10 10:37[ 編集 ]
  2. 山の管理を頼んだりする近所のお爺さんが南京の話してた。日本軍が捕虜や一般人に穴を掘らせて銃や銃剣で殺して落としてたといってたな。他にも色々あったみたい。
  3. 投稿日:2008/08/10 17:09[ 編集 ]
  4. 大陸で捕虜になった兵士は、抑留期間中に洗脳されて共産党員になってる人も相当いるから、鵜呑みにしないほうがいいと思うよ。
    「南京でひどい虐殺をしました」っていってた爺さんが南京勤務してなかったりしたケースがたくさんあるからね。
  5. 投稿日:2008/08/10 23:34[ 編集 ]
  6. 先ず捕虜になってないし。だいたい、そんな何十年も継続する便利な洗脳なんかも今だって無いよ。
  7. 投稿日:2008/08/11 08:55[ 編集 ]
  8. >>22の11機撃墜が本当ならエースパイロットだよな
  9. 投稿日:2008/08/18 22:47[ 編集 ]
  10. >>1002
    なんでそんなアホなことを信じられるんだ?

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