にくろぐ。

昭和の香り

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引用元:軍事板「あなたのおじい様の戦争体験を教えて」
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1053513337/

457 名前:名無し三等兵[]投稿日:03/06/28 00:56 ID:oTYbQwhG
うちの爺ちゃんは終戦の日に徴兵され大阪の訓練施設に
いったそうです。到着と同時に爆撃されてお前は通信兵だ、と渡された
通信機と司令官が吹っ飛とぶが、一週間訓練し家に帰ったらしい。

466 名前:名無し三等兵[]投稿日:03/06/28 16:56 ID:hN2bk0sm
大学病院で隣のベッドにいたお爺さんから聞いた話。
徴兵されたとき、海軍でロシア近くの海を守る部隊に配属されたそうだ。
ご存知のように、あのあたりの海は落ちたら心臓麻痺で死んでしまう。
南方みたいに物につかまって何時間も漂流できない。
死ぬことを覚悟したそうだ。ところが実際には運良く(?)南方へ送られた人は
皆、アメリカ軍に"ボカチン"(沈没?)され生きて帰ってこなかったそうだ。

476 名前:名無し三等兵[]投稿日:03/06/28 22:47 ID:Raem8loj
漏れのじいちゃん、内地で終戦を迎えた上等兵だったんだが、
何か軍需物資を持って帰るのが当り前だったのに、
何にも持って帰らなかったため、ばあちゃんにさんざコケにされたそうな。

「嫁は選ばにゃいかんぞ」と、孫の漏れにしみじみ・・・。

480 名前:名無し三等兵[]投稿日:03/06/29 00:19 ID:IZQTkS6G
亡くなった祖母の話
終戦の前の年の夏、製鉄所を狙いに来たB29に日本の飛行機が体当たり、
おまけに後のB29にも当たって、2機共墜落したのを見て地上で大騒ぎ、
防空壕の上で隣組の人達と万歳・万歳の連呼したそう。銀色のはねが
キラキラ舞い落ちてすごく綺麗だったそうです。
うちのばあちゃん、奇しくも飛行第4戦隊野辺軍曹機・折尾上空体当たり
の目撃者。しかし、万歳って・・20人程の命が失われた瞬間なんだぞ・・
まぁ・・当時はそんなもんかな・・・

485 名前:[]投稿日:03/06/29 02:58 ID:0lBTB7wr
おっさんなので、父の話。
父は鉄道省の学生だったが、卒業を一年繰り上げされて召集された。
よく、モウ一年若ければ学徒動員だったな、と言っていた。
出兵先はニューギニア。 学卒だが下士官は辞退したと言っていたので、
えらくは無かったと思います。 なぜ辞退?と聞いたら「兵隊になる為に高専出たわけじゃない」
といっていました。
 そのニューギニアでの話。 あんまり腹が減ったので、仲間2人と共謀して現地人の畑から
芋を盗み出して食べちゃったのです。 すると翌日、現地の村長が隊長さんに抗議に
やってきて、怒られてしまったそうです。
 父曰く、「しかし不思議だ。なぜ俺たちが盗んだとばれたのだろう? あいつら夜目がきくのか?」
すると母が、「あなた、芋を煮て食べたのでしょう? そりゃあ、匂いでばれますわよ」
40年ぶりに謎がとけた、と当時の父は喜んでおりました。
 しかし、40年も悩む問題じゃないぜ、おとうさん。

493 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:03/06/30 03:32 ID:???
俺のじいさんは弱視で徴兵されなかったそうです。
発明家だったらしく、自転車にエンジン積んだりしてたそうな。
(あまり人の役に立つ発明(?)はしなかったらしい)
奇人として名を馳せたが、津波にさらわれてアボン

498 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:03/07/01 11:47 ID:???
うちの爺さんは瑞鶴のゼロ戦の整備兵で
珊瑚海海戦のときのはしを小さいころ聞いたことがある

翔鶴隊の飛行機もきたために収容しきれず
ほんの少しの破損があるだけの飛行機でも「すてろーー!」って叫びながら
海中投棄したてみたい

当時はふーんと思っていたが
歴史的な珊瑚海海戦に自分の祖父が参加していたと思うだけで興奮する・・・

501 名前:名無し三等兵[]投稿日:03/07/01 20:14 ID:2AgeyNcg
うちの死んだ爺さん。横鎮に兵隊にとられました。
訓練後に鴻に信号兵で配属。揚子江で頑張ってたらしい。
あっちの戦闘機、太陽の中から逆落としに突っ込んできて
機銃掃射をするので怖かった、という話をききました。

その後、駆逐艦に乗ってミッドウェイへ。大負けして帰ってきて
体を壊して静養。復帰後、水雷学校?の教官だったらしい。

駆逐艦時代は、信号兵の分際で駆逐隊指令と仕事の上の
ことで散々やりあってたそうで。それでも殴られたことは一度も
なかったとか。ほんとかねぇ。

502 名前:名無し三等兵[]投稿日:03/07/01 21:58 ID:K2KVAvZr
>>501
駆逐艦は所帯が狭いからのんびりしていて
殴られることもあんまりなかったと聞いたことがある
すぐ沈むから一心同体という気がするし

鬼の山城蛇の長門いっそ赤木で首をくくろうかというようなのが
呉佐世保横須賀ごとに別の艦であったらしいからね

508 名前:名無し三等兵[]投稿日:03/07/01 23:30 ID:UwsLBDaP
親戚の爺さん、朝鮮鉄道で機関助士してた。
軍用の貨物列車は、馬賊に狙われて危険だったらしい。
半島の荒野は広く3、4時間走っても景色が変わらなかったそうだ。
俺が私鉄の運転士になったとき当時使ってた点検ハンマーをくれたよ。

514 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:03/07/02 13:16 ID:???
怖くて苦手だったマイジーちゃん。
死後、親(満州生まれ)からジーさんの満州でやっていたことを聞いた。

満鉄の職員で、整備などをやっていたらしい。
戦後帰国の混乱の中で、馬賊狩りをしたり、されたり。
なんて話も聞いた。

戦中は、兄弟で近所のロシア人の家にボルシチの作り方習ったり、
中国人の家で餃子の作り方習ったり。
なんてほのぼのとした生活をしてたそうで、ギャップが激しいなぁと思ったのを覚えてる。

もっと話しきいときゃよかったなぁと、いまは後悔している。

515 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:03/07/02 19:09 ID:???
うちの爺ちゃんも満鉄職員だったよ。
でも、爺ちゃんはあんまり戦争中のことは話そうとしないので、婆ちゃんに聞いた話。

満州から引き揚げるときの話。
満鉄職員とその家族が優先的に乗車できる引き揚げ用列車があるということで、
住んでいるところから遠い町にある駅まで行くことになった。

まだ若かった婆ちゃんは髪を切り、男装をして爺ちゃんと一緒に歩いていったそうだ。
ソ連兵は女と見るや……と言われていたからね。

で、駅に向かう途中、二人は運が悪いことに、
「ダワイ!」と、二人組みのソ連兵に呼び止められてしまった。

「ああ、乱暴される」と婆ちゃんは思ったそうだが、
なんと、そのソ連兵たちは婆ちゃんには見向きもせず、爺ちゃんを連行していってしまった。
「もうこれで今生の別れ」と思ったが、どうしようもない。婆ちゃんは駅へと向かった。

駅へついたが、列車はまだ来ていない。
仕方なく、そこで夜を明かし、そして翌日。

なんと爺ちゃんが両手にバケツを提げて、生きて駅へとやってきた!

話を聞いたところ、ソ連兵の兵舎へ連れて行かれ、彼らの服の『洗濯』をさせられたのだという。
しかも、それが終わると二つの大きなバケツに一杯のバターを入れたものを貰って、
釈放されたのだと言うことです。

ソ連兵よ、洗濯ぐらい自分で出来なかったのかね?
以来、爺ちゃんは自分で洗濯したことが無いそうです。

526 名前:名無し三等兵[]投稿日:03/07/02 23:51 ID:sp1SuCnB
俺の親父、所沢で戦闘機の整備兵をやってた。
あまりに腹が減るので近くの畑から芋を盗んで、航空燃料で炊いて食べたとか。
落花生は畑に手を突っ込んで、生のまま食べたそうだ。皆は下痢を
したが自分は平気だったとか。お百姓さんにはよく軍に怒鳴りこまれたそうだ。
それでも腹が減ったときは、農家の前にただ立ってたら、芋とかを
めぐんでくれたそうだ。
東京大空襲の時は地平線が真っ赤だったそうだ。これで戦争も終わると
思ってほっとしたそうだ。
おばあさんは、近くの町が綺麗にひかったので綺麗な花火だと思ったそうだ。
お爺さんに"たわけ あれは空襲じゃ"と諭されたとか。
今も昔も米軍は強すぎる。イラクの人々も当時の日本人と同じ気持ちであったに
違いない。ただ日本人はすぐにアメリカ万歳だったけど、あそこは
"目には目を"の国だからなあ・・・

528 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:03/07/03 00:18 ID:???
>>526
ウチの場合は百姓なので逆。
兵隊さんに食事をもてなしたことがある、
とお婆ちゃんが言ってた。

543 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:03/07/10 00:26 ID:???
うちの爺さん、海軍信号兵。
国からの支給品である紋付き時計を持って、主に時間を知らせる役割。他にも色々。
で、その時計は紋が付いてるおかげで、何があっても上官から時間について
文句を言われる事がなかった。そこで、爺さんのした事。
○気に入らない上官の休み時間を減らす。
○気に入らない奴の起床時間を30分遅く知らせる(遅刻で上官から大目玉)
○仲間の休み時間を増やす。

せこい。下らない上に、せこすぎる…・゚・(ノД`)・゚・
ってか、お前は本当に戦争に行ったのかと疑いたくなるような馬鹿話まで
何時間にも及び話してくれた。全てにおいて…呆れた…

そんな爺さん、とりあえずビックリした事は一緒の船に乗った高知の兵士。
「酒を呑む量が凄いんだよ…ついていけない。宴会の夜は見張り台に逃げた。」

562 名前:名無し三等兵[]投稿日:03/07/12 23:53 ID:qNgdEfQw
うちのじいさまは,満州でかなり羽振りがよかったそうです。
でも,徴兵で穴掘る仕事(工兵?)やらされてました。
終戦の時,ソ連に連行される途中,逃げたそうです,後ろから機関銃で撃ちまくられたそうですが何とか逃げました。
でも,捜索が執拗だったらしいです。
そのときかくまってくれたのが羽振りのよかった頃に雇ってた従業員の中国の方々。
うちのばあさまが面倒見がよくてそれに恩を感じていた人たちがかくまってくれて無事逃れました。
終戦の時に中国人が日本人に対して・・・なんてのはよく聞きますがそれだけじゃないと思いました。
普段,ちゃんとした関係をもっとけば中国の人もしっかりとわかってくれると言うことだと思います。
じいさまは,7年前の終戦の日に大往生しました。

585 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:03/07/15 21:25 ID:???
 うちの祖父の兄は前線から早く帰りたくて醤油はガブ飲みするわベッドの下の埃は吸うわ
ありとあらゆる手段を使ったが全く病気にならずに終戦まで南方にいた

それに対し祖父は戦争で生き残る気は全くなかった生粋の職業軍人で陸軍の戦闘機パイロットだったけど
南方に進出したと同時にあっさり病気になって内地送還

人の運命はわからんもんだね

586 名前:名無し三等兵[]投稿日:03/07/16 02:06 ID:2Y+38hU4
うちのお爺さんはたしか30人くらいの部隊で軍曹だったらしい。
フィリピンの山で作戦活動中アメリカ軍の迫撃砲の破片が太ももに刺さった。
週週間すると太ももの傷が膿んできて歩けなくなった。
戦友に肩かしてもらいながら命からがらさまよっていたが、
ある日、数百人をいうアメリカ兵にばったり遭遇
そして捕虜になった。でもアメリカの軍医が太ももの傷の手術してくれた。
アメリカ兵の日本捕虜の扱いは日本兵のアメリカ兵捕虜の扱いより良かったらしい。

でもノルマンディーなどで降伏したドイツ兵捕虜は数十万人に対しては
機関銃で殺し処分した・・・なぜだろう?

589 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:03/07/16 12:31 ID:???
祖父さんじゃないけど、親父の知り合いの爺さんが敗戦後満州から
逃げてきた時に、母ちゃんがロシア兵に連れて行かれて、妹と2人きり
になって、そのまま妹を中国人に売り渡して自分だけ日本に逃げて来た
って人がいる。 その爺さんTVで残留孤児の話題が出る度にいたたまれ
なくて、TV消して布団に潜り込んじゃうらしい・・・・ 

617 名前:名無し三等兵[]投稿日:03/07/25 04:57 ID:lXrF9hqn
うちのじさまは史上初の空母対空母の戦闘となった珊瑚海海戦にいたよ。

と言ってもじさまは海軍じゃなく陸軍でポートモレスビー攻略部隊の輸送船
に乗ってた。
ラバウル出港後暫らくして掩護艦隊と合流。遠くから4隻の重巡が近づいて
来るのを見た時は非常に頼もしくて、戦艦が来たと思ったそうだ。

敵艦隊出現の報で輸送船団は一時退避することになり直衛の空母祥鳳は目の前
を飛行機を発艦させながら敵に向っていったそうだ。甲板を蹴った飛行機が
いったん海面近くまで落ちてから何とか飛んでいくのを「ああ、落ちる!」って
ハラハラしながら皆で見送ってたそうだ。

しばらくしてから遠くのほうで雷のような音が聞こえ「雷鳴か?海戦がいよいよ
始ったんだろか?」と話していたそうだが、これが祥鳳の最期だったんだね。

祥鳳はあまり目に見える戦果も上げず最初に撃沈された日本空母となったが
輸送船団を護り抜くという護衛の役目は完全に果たしたことを俺は感謝してる
なにせ祥鳳が犠牲にならずに輸送船団がもし攻撃されてたら、じさまも恐らく
は殺られてたろうし、俺もこの世にいないわけだからな・・・

630 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:03/07/26 11:03 ID:???
40度の熱を出して病院に担ぎ込まれ、入院。
入院四日目ようやく回復の兆しが見えたんで相部屋に移されたときのこと。
その相部屋には80過ぎのご老人がいて、自分と同性だった。
「Tですか? 珍しい苗字なのに偶然ですね」
と私が尋ねると、この苗字は大分県では珍しいが大阪あたりだと結構多いと教えてくれた。
で、そのご老人、朝になると欠かさず体操をするんだけど、背伸びの運動とかしてると何か違和感がある。
両腕の長さがあっていない。片方の腕が短かった。
「中国で憲兵やっちょったとき、迫撃砲くろうてちょん切れたんよ。
軍医にくっつくかわからんがつなげてみようかっち聞かれたけえ、頷いてから気ぃ失うての。
起きたらこげえなっちょった」
とこともなげに教えてくれた。
こんな話よく平気でできるな、と思ってたら、おじいちゃんに面会の人がきた。
なにやら怖そうなじいちゃん方(元ケンペーのじいちゃんよりは若かった)だった。
後でほかのじいちゃんに聞いたところ、ケンペーじいちゃんはここらへんでは有名な「や」のつく自営業の人だった。
私が怖がっていると、
「大丈夫じゃ。本物のヤ○ザは一般人には優しいもんじゃけえ」

……ちょっとスレ違いっぽいけど実体験なんで。

647 名前:名無し三等兵[]投稿日:03/07/28 22:14 ID:0QGL18zG
俺のじいさんは85歳。よくは聞いてないけど上海あたりに行ったらしいよ。
5人くらいの部下と一緒に見張りをしてたら夜襲を食らって、じいさん以外全員
戦死だったって。じいさんの指の間を弾丸がすり抜けたらしく、今もすり傷がケロイド。
じいさん、戦争の話は終戦の日の番組とか見てると「この戦車がまた凄いんだ!」とか
言って饒舌になるけど、戦争映画は見れないみたい。プライベートライアンは序盤の
銃撃戦でリタイヤ、ブラックホークダウンも見れなかったな。やっぱり目の前で仲間が
撃ち殺されたりしたら相当のトラウマだろうね。。。。

ばあさんは、米英の上陸に備えて薙刀の訓練を大マジにやってたってさ。今考えると
大笑いだと言ってる。また、横浜大空襲を経験してるんだけど、最初は「うわ!人が死ん
でる!」とキャーキャー言いながら逃げてたらしいけど、3時間もすると死体を踏んでも
「あ、人間だったんだ」としか思わなくなってたって。
ちょっと前、北朝鮮がテポドン撃って来た時は「戦争は嫌だ、絶対嫌だ!」って本気で怯えて
たよ。切なかったな。

650 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:03/07/29 10:20 ID:???
伯父の話。
中国にいた伯父たちに突然ソ連軍が襲いかかってきた。
目の前では炸裂音が続き、生きたここちはしなかったそうだ。
伯父の隣にいた戦友が「もう、だめかもしれんなあ」と、云った瞬間、すぐそばで爆発があった。
砂埃をはらって隣を見ると、さっきまで話をしていた戦友の首がなかったそうだ。
その後、伯父はシベリアに抑留された。

661 名前:名無し三等兵[]投稿日:03/07/30 04:07 ID:3u0Uhn69
うちの爺さんは昭和一五年21歳で満州に
行ってその後カンボジア、ベトナムにて機銃で
足をやられるもその後ビルマ、タイと
転戦し昭和二二年に復員。

七年ぶりに故郷沖縄に帰ってきたら五人いた
兄弟も自分一人だけになっていた爺さんは
五人兄弟の次男で長男は馬車に引かれて
死亡、三,四男は防衛隊として沖縄戦を戦い
五男は空襲でやられた、そんな爺さんは
プライベートライアンを観てそれを自分に重ねて
泣いてました、最近数十年ぶりに検診につれて
いきレントゲンを撮ったところ右の太もも以外に
頭の中にも銃弾か砲弾の破片がみつかりました。

662 名前:名無し三等兵[]投稿日:03/07/30 08:44 ID:spSP7F4T
私の祖父は朝鮮と台湾で憲兵をやってました。
最初朝鮮での任務に就いてその後
フィリピンに出撃するために台湾に移動したとか。
朝鮮から台湾に移動するために船に乗ったんですが
その船の貨物室に乗せられてとても狭かったそうです。
そこで寝ていたときに事故が起こって寝るための棚が落ちて
一番下で寝ていた人が下敷きになって死んでしまった。
それで海に流して水葬?をしたそうです。
遺族には事故と言うのはかっこがつかないということで
戦死にしたとのことです。
それで結局出撃することはなく台湾で終戦を向かえたのですが
終戦間もなくは混乱があって倉庫などで略奪をしていた人などを
取り締まっていたそうです。
台湾に配属されなかったらシベリア送りになっていたとも話していました。
最近入院したので不安です。

678 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:03/08/01 12:40 ID:???
私の知り合いだったご老人では、大東亜戦争中はシナ大陸で憲兵中尉だったそうです。
尤も、復員した直後に占領軍の粛清を警戒して軍服だの身分証明だの
は全て処分してしまったと仰っていました。
案の定、他の方達は証拠品を残していたおかげで
みんな戦争裁判の対象にされたそうです。

679 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:03/08/01 14:57 ID:???
うちの祖父は、樺太に配属されたそうだ。
新兵教育も樺太で受けたらしい。
「大砲を引っ張る馬も、気性の荒いのがいてね。
 蹄の掃除してる時に蹴られて死んだ初年兵もいた。」

終戦後、シベリアに連れてかれて、シベリア鉄道に関わったそうな。
伐採の時に木の倒れる方向に逃げて死んだ人もいたって
話してくれた。
復員は昭和24年の夏。舞鶴に着いた高津丸に乗ってたらしい。

上敷香と言っていたので…歩兵第25連隊?

682 名前:名無し三等兵[age]投稿日:03/08/02 14:26 ID:???
>>679
俺のじいちゃんは獣医少尉で、北満で軍馬の世話をしてた
馬のうしろ脚って2メートルも伸びるそうで、それで腹を蹴られて負傷した
じいちゃんがしみじみ言ってた
「馬の後ろには絶対立つな ありゃ死ぬぞ」

683 名前:名無し三等兵[]投稿日:03/08/02 16:17 ID:oweu5JNR
自分の身内ではないが1991年の八月末、ハワイに行った時にオプショナルツアーで真珠湾に行った時の事。
同乗していたお爺さんが手を上げてガイドさんに質問したんだ。
「私は此処を空襲した時に参加しておりましたが(港の)皆さんは我々を恨んでいますか?」
と聞いた。ガイドさんは笑顔で
「そんなことはありませんよ。尊敬の対象としてみておられる方が多いです。」
と返答していた。車内が静かになった中、そのお爺さんはさらに続けた。
「私は、赤城に乗り込み爆撃をしたんです。」

684 名前:名無し三等兵[]投稿日:03/08/02 16:28 ID:fkDAxlnH
続き
「今まで恐ろしくて来ることを躊躇って来ましたが、せめて死ぬ前に亡くなった方々にお詫びを申し上げに来ました。」
と言っていた。私は、その後気になってアリゾナメモリアルで注視していると戦没者名簿の前で直立し、敬礼をしていた。
まるで映画のワンシーンの様な光景だった。
いまでもこの時期になるとこの事を思い出す。あのお爺さんは御存命だろうか。

693 名前:名無し三等兵[]投稿日:03/08/04 01:11 ID:6p2jnNCp
母方も父方も既に他界しているが

母方のじい様は山形の農家の7人目。さっくり徴兵されて硫黄島に送られるために
広島まで貨車で移動したが肝心の船がもう無くて帰ってきた。
その後山形で本土決戦だとかなんとか言われてるウチに終戦と話してたな。

父方のじい様は神奈川の藤沢で電話技師。満州から支那方面に電話線
引きまくりの日々。「点と点を結ぶ占領だったから」やたらと電話線切られて
その都度ゲリラに怯えながら復旧工事してたって。

オマケに近所のじい様。
横須賀基地でロケットエンジンやジェットエンジンの付いた飛行機のテストしてた
って言うけどホントかな?
ロケットはダメだったとかジェットはドイツからの図面を必死でトレースしたとか。
軍オタじゃ無いのでよく分からん。横須賀でそんなことしてたのか。

694 名前:名無し三等兵[]投稿日:03/08/04 08:52 ID:xPRv4zhh
うちのじいちゃん
双方他界したのだが

父方
零戦工場で働いてて特に逸話なし。

母方
シンガポールに派遣された陸助
現地のねーちゃん孕ませまくってたらすぃ
シンガポールの従兄弟にあってみたいもんじゃて。
でも、気が狂いそうで自分で意識を保つため刺青してたらしいから
想像を絶する恐怖があったんだろな。

関係ないが昔フリマで軍服売ってたじいちゃんが居たね。
将校用の軍服@サーベル付き売ってたんだが「買う」と言ったら
「思い出が多くて軽軽しく売れん」とかぬかしやがった
売りにきたんじゃねぇのかYOw

705 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:03/08/05 05:24 ID:???
ニューギニアで食料にするために野豚を日本刀(軍刀じゃないよ)で斬りまくってた話なら聞いたことある。
パラオででっかいカタツムリを見て「フランスではこれを食べるんだ」と言って自分で調理して、腹こわして
氏んだ同僚がいたとかいう話も聞いた。 

他にじーさんの同級生の話だが、中国人捕虜に解放してやるといって、真冬の夜中に水をぶっかけて
から外に出していたそうな。捕虜は喜んで外に出ていくが。。。
絶対死ぬにもかかわらず、そんなことつゆ知らずに捕虜が喜んで外に出て行く姿を見るのが面白くて
何回もやってたそうな。
あー、俺の思い込みかもしれんが、この捕虜って、731かなんかで生体実験にされるために
集められてたんだったかも。

715 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:03/08/06 16:39 ID:???
祖母ですが戦争中に満州の奉天で仕立屋(洋服じゃなくて和装)をしてたのだが
敗戦後も帰国時期が決まらず2年くらい現地に留まっていたそうだ。ある日、
ソ連軍の将校が祖母の店に土足で侵入し軍服の修繕を命令。肩章の片方が無くな
っていて新しく作れ、と。ところが階級章と同じ赤い生地が無い。随分迷った
が祖母は自分の腰巻きを刻んで肩章を作った、ソ連軍の将校は御機嫌で缶詰めを
沢山くれたそうだ。

727 名前:名無し三等兵[]投稿日:03/08/07 15:49 ID:pECmYsMO
うちの爺ちゃんは近衛師団の第三連隊所属
だったらしいが、戦局の悪化の為、結局一度も
皇居を拝む事無く南方へ、そこで爺ちゃんは
盲腸を患ってしまったらしく、またその夜に
間の悪い事に、アメの空襲があったらしいんだわ。
その中で爺ちゃんは麻酔も満足な器具も無く、真っ暗な
中、爆撃の轟音が迫りくる中で軍医の手術を受けたらしい。

……と言うのを親父から聞いた。爺ちゃんは俺が1歳の時に
肝の臓を患って亡くなってしまった。
だから直接体験談を聞ける事の出来た人が凄く羨ましい。

761 名前:名無し三等兵[]投稿日:03/08/08 23:55 ID:+gKgdqWG
じーさんではないが、亡き父は学徒出陣で中国沿岸部に配属。
とりあえず、地域の住民とうまくいっている部隊だったので、余り戦闘はなかったと言っていた。
(あったとしても、両方とも相手を殺す気がないので、明後日の方向に撃ってたらしい)
なので、終戦後は部隊の殆どの人間(将校兵隊の区別なく)一ヶ月程度で引き揚げ船で帰国。

良く、言っていたことが上海はきれいな町で食い物も上手かった。特に肉饅頭が上手くて、
でも今は共産党なので、町はむちゃくちゃだろうなぁ。。。
でした。


あと、たまーに共産軍がくると本当の激戦になり、白兵戦もしたらしい。(詳しくは話してくれなかった)

で、将来お前が兵隊になったら、これだけ覚えておけと言われたことがある。
白兵戦の時は、銃は横向きにして撃て(反動が上下ではなく、左右になるから押さえ込み易い)
狙う場所は腹を狙え。
銃剣でさしたら、足で蹴ってすぐに抜け、抜けないようなら一発撃てばその反動で抜ける。
生き残りたければ古参兵や、下士官の言うことは良く聞け。

今、思えば余り戦闘(戦争ではなく)の話をしなかったのは余りにもの経験があったからかもしれない。

800 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:03/08/12 18:30 ID:???
親父が子供(戦時中)の頃、現金収入&男手が無かったので、どっかでヤギを買って
きて、ヤギの乳を売って暮らしてた。
乳が出なくなると今度は、首ひねって殺して肉を売ったらしい。

田舎だったから空襲は無かったけど、本土決戦になったら皆で入水自殺しようと言
ってた時に玉音放送が入ったていってたけど、ここら辺はフィクションかw

戦場の話じゃなくでゴメンよぅ

803 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:03/08/13 17:44 ID:???
うちの爺さんは広島の兵錬所にいたそうだが、
7月の終わりに農業指導員というので帰ってきたそうだ。
上官や仲間に羨ましがられてボコられたおかげで、
顔を倍に腫らして帰って、親父たちを驚かせた。
その入れ替わりに無二の親友であった人が交代で
広島に入ったのだが、その日が8月6日。
仕事とはいえ自分があの日帰ってこなければ…
と死ぬまで悔やんでいたらしい。

戦争体験じゃなくて申し訳ない。

844 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:03/08/15 20:10 ID:???
バイトにいった農家のじいちゃん(陸軍)の話

レイテの後、当時アメリカ軍が戦意喪失のためやってた日本語放送で
  『 ・・・今日、日本帝国海軍が地球上から消滅しました・・・ 』
というのを聞いたそうだ。

あと、疾風のことは「ハチヨン」と呼んでたらしい。 

870 名前:名無し三等兵[]投稿日:03/08/21 15:34 ID:eeKYiG96
うちの死んだ婆様の話。終戦直後、家の縁側に醤油の一升瓶を置いてたら、進駐軍の黒人兵が
コーヒーと間違えて売ってくれと英語で話してきた。ちんぶんかんぷんなので近所の新聞記者
やってる人に通訳してもらったらしい。そのとき黒人兵はサブマシンガンをぶら下げていたそ
うだ。

884 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:03/08/21 22:36 ID:???
漏れのばあちゃん、畑仕事してる時にB-29に機銃掃射されたそうな
搭乗員の顔がはっきり見えるくらいの超低空で、舐めるように銃撃してきたんだと
ばあちゃんは溝に飛び込んで助かったが、近くにいた近所のおじさんは、飼い犬諸共肉片になって葉っぱにくっついていたそうな

B-29っていうのは多分F4UかF6Fの間違いだと思うんだが

906 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:03/08/23 11:25 ID:???
俺のおじいちゃん、中学生時代に彼女がいたらしい。
一緒に手を繋いで歩いていたら、突然空襲ボパーツ。
夢中で逃げて、逃げて、防空壕に隠れて、ふと見たら
その彼女の腕から先がナカッタ・・・。
指がピクンって動いたそうな。でも不思議と泣かなかったんだって。
俺も彼女がいるんだが、もしもそんなことになったら俺どーゆう顔してるんだろう・・・

907 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:03/08/23 12:35 ID:???
>>906
なんと残酷な・・・

911 名前:名無し三等兵[age]投稿日:03/08/24 00:30 ID:???
クラシックカメラクラブで、この前会員の83歳の人から聞いた話
「僕はね、ソ満国境にいたんですよ」
「アブみたいな飛行機にダダダダーッと銃撃を受けましてね、味方が大分やられたんですよ」
「本当に怖いのは迫撃砲弾ですよ 大砲の弾は家の影に隠れてれば大丈夫ですが、あれは上から降ってくるんです」
「なんせ頭上の木の枝で爆発して、気絶して気がついたら周りの皆がやられてるんです」
「僕はね、駆逐艦「雪風」で復員したんですよ いや、実にきれいな軍艦でした」
「こう、甲板の脇にベニヤ板が何枚も張り出してありましてね、そこで用を足すんです 館内の便所は少なくてね」

雑談だったので詳しくは聞けなかったが、やっぱりこういう証言は貴重だと思う

916 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:03/08/24 14:28 ID:???
うちの祖母は三部屋しかない家に焼夷弾が四つも落ちてきたと言ってました。
でも、水で濡らしたモップみたいなので叩くとすぐ火が消えるので
特に被害はなかったらしいです。
当時は物資不足で火の消えた焼夷弾の筒(鉄製70〜100cm)は
くず鉄として高く売れるが、警察に捕まるので売ったらだめだったようです。
婦人会とかがリアカーを引いて焼夷弾を集めて周り、
警察署に持っていったと言ってました。

長崎に住んでいたので戦艦武蔵建造中は
「三菱で化け物ば作りよる」という噂が流れていたそうです。
造船所の工員がくず鉄屋に売るために工場から太い銅線を腹に巻いて
盗み出そうとしたけど、造船所からの連絡船から桟橋に飛び移るときに
重くて海に落ちてしまい沈んでいったと笑いながら語ってくれました。

920 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:03/08/25 01:12 ID:???
うちの父母は、戦時中のことを聞いても
婆さん「うちは漁師だったから、家族が多くても食料には困らんかったよ」
爺さん「うちは農家だったから、食いモンは幾らでもあった。」
ということばかり。爆撃されたことも殆どないらしい。

・・・( ´∀`)田舎だなあ

921 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:03/08/25 09:16 ID:???
>>920 いや、それが一番だよ・・・

927 名前:hirosima[]投稿日:03/08/26 14:15 ID:m6UonKGb
うちの祖母さん広島市内からは少し離れたとこにすんでた。
原爆落ちたとき窓ガラスがゆれたって言ってた。当然何が起こったかはわかってない。
それから2日後くらいに市内に買い物に行こうとしたら、知っての通りとんでもないことになってて
なにも買わずに急いで帰ったらしい・・・あたりまえだが・・・

980 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:03/09/04 00:45 ID:???
うちの爺ちゃん。

何万人も行って何十人しか帰って来なかったあの白骨街道の生き残り。
生還できた理由は戦車部隊だったから。
食料をこっそり車内隠していたので、飢え死にせずにすんだ。
何でも味方の基地に到着した時にはもう動けなくて、
物凄く飢えていたのに重湯くらいしか口にできなかったらしい。



↓おまけの恐ろしい戦争話。



さて、殺しても死なない奴ってのはいるもので、
部隊に一人凄く元気な奴がいた。そいつはへろへろの爺ちゃん達尻目にがんがん飯食って、


それが原因で死んだ。


関連エントリー:
あなたのおじい様の戦争体験を教えて[その1]
あなたのおじい様の戦争体験を教えて[その3]
     
  1. 投稿日:2008/08/02 01:40
  2. ここまでやらないといけない、とわかっていても
    やらなければならないのが戦争。

    とかく人の世はおそろしい。
  3. 投稿日:2008/08/02 03:46
  4. 589が切ない・・・
  5. 投稿日:2008/08/02 05:19
  6. 爺さんは徴用されて台湾で赤とんぼの整備兵してた。
    パイナップルだけは見るのも嫌だって言ってた。

    婆さんは空襲の後、日本機の体当たり攻撃で墜落した
    B29からパラシュート脱出した米パイロットを
    近所の皆さんと竹槍持って捕まえに行ったって言ってた。
    その後捕虜になった米兵は、九州大学に送られて・・・。

    戦争なんてキレイなもんじゃない。
    アニメやゲームでしか戦争を知らないのは幸せなことだけどさ。
  7. 投稿日:2008/08/02 11:48
  8. うちの爺ちゃん、技術兵として哈爾浜にいたらしい。
    無口な人でなんもはなしてくれんから昔のことはわからんが、ただ赤飯をみるとすごく悲しそうな顔をする。






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