引用元:日本史板「■江戸時代の性風俗■」
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1006037206/
1 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:01/11/18 07:46
どんなふうだったか教えてください。
8 名前:
[]投稿日:01/12/07 14:56
江戸時代の風呂屋は
男女混浴って本当?
9 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:01/12/07 15:12
12 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:01/12/09 08:35
>>8 ざくろ口をくぐって入る部屋のつくりのため,
浴室内は,ほとんど暗闇に近かったようだ.
14 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:01/12/10 03:15
江戸時代のおおらかな性風俗のほうがいいと俺は思うな。(売春婦は安すぎて可哀想だけど)
ていうか、昨今の風俗頽廃(ある人々のいうところの)、は明治以前の日本の風俗への
回帰であり、長い民族の歴史の中で見ると、むしろ自然な流れだ、という議論あり。
15 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:01/12/10 03:25
>>14 江戸時代の売春婦って安すぎたんですか。
金額的にはどれくらいなんでしょうか?
16 名前:
14[]投稿日:01/12/10 07:44
>15 よく屋台の蕎麦の値段と比較される。当時は一般的に食べ物は安いので、比較が難しいが、
一番安い夜鷹とかだと千円とかそんな感じだろう。
ただ、吉原での水揚げ料とかは異常に高いよ。ウン億円相当。
売春が安いというのは過去の社会に共通するようで、中世ヨーロッパなんぞの風呂屋の女
(=売春婦)なんて、卵一個の値段でサセてたらしい。
ジブンは売春肯定論者だが、それを読んだとき、あまりに哀れで涙が出そうになったよ。
やっぱちゃんとしたお金を払ってあげたいよな。
55 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/01/18 09:40
江戸時代末期には売春は悪、という観念というものが非常に低かった。
夫婦で、金が足りなくなると、妻が「ちょっとバイトしてくる」
といって芸者屋に一年とか期限を切って奉公。一年後には夫婦
何事も無かったかのように元の鞘に収まる、というようなことが
多かった由。明治元老の多くがなじみの芸者を妻にしているのも
面白い。
今、中産階級の娘が平気で風俗業界に入るのも別に日本史的には
不思議なことでもないのでわないか。
68 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/02/24 17:19
一番安い遊女は800円ぐらいだったってnhk教育でいってたよ
800円て、ちょっと頑張った昼飯かよ
70 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/02/24 18:09
>68 夜鷹のことかな?
一回24文なり。そば一杯16文だよ
71 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/02/24 21:18
むかし大宅壮一が世界中どこの国でも、女の値段は靴一足に等しいと
のたまわったと記憶する
するとわらじ一足は24文くらいだったのだろうか?
72 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/02/25 06:30
現代の売春が高すぎるんじゃないの?
とてもじゃないがソープで5万も6万も払う気にはならんな。
そりゃテクニックはすごいのかもしれないけどシロウトならタダだぞ。タダ。
74 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/02/25 10:17
新吉原初期の揚げ代、太夫90匁、60匁、37匁。格子26匁。呼出し散茶梅茶30匁。散茶金1分。局5匁、3匁。それ以下銭100文、1匁。
吉野大夫クラスと遊ぶage代が,現在の貨幣価値で十万円ぐらいなら,
むしろ安過ぎるくらいだと思う.
やはり,現代日本の売春相場は高すぎると思うよ.>>72 に激同意.
76 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/02/25 12:50
>>74
でも実際のところ、高級遊女と遊ぶ場合は揚げ代だけじゃすまないだろ。
御祝儀やら宴会やらその他諸経費も払わされたはず。
77 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/02/25 18:51
落語などでは、太夫と遊ぶのは超百万クラスの散財という印象を受けるが・・
それはともかく、天下御免の吉原の遊女と、飯盛や夜鷹といったそのへんの私娼
を一緒くたに論じるのは無理と思われ
78 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/02/25 19:44
>77 うん。安い遊女や私娼の場合単純に「自分の生理的欲求の解消」
のために幾らかのお金を使うって感じがするけど、
有名な太夫や天神相手だと行為そのものが目的と言うよりは、
「高い金を使って遊ぶ」事での心理的欲求や満足感を満たす
ためって方が優先って気がする。
81 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/02/27 23:57
吉原 遊女2800名
太夫 3名
格子 ○名
不詳 ○名
端女 1900名
同じ遊女でも太夫と端女では雲泥の差だったようだ
82 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/02/28 00:34
太夫はどんどん減っちゃって宝暦の頃にはいなくなるんだっけ?
で、格子もいなくなったから吉原のTOPは散茶になると。
83 名前:
アルビレオ越後[]投稿日:02/02/28 02:55
ついでに・・・資料があったので。
『資料』好色訓蒙図彙
貞享五年刊「諸国色星案内」
京都・島原の遊女数・・・総数三百十六名
なお最高ランクの太夫は高い教養が必要で容姿は勿論、
小唄や浄瑠璃に堪能で琴や三味線、和歌、俳諧、書道、囲碁、
茶の湯、などの諸芸、そして古典など謡曲も心得てなければならなかった。
ランク___揚代_______人数______備考__
太夫・・・・銀、七十六匁・・・十三名・・・・十二万円
天神・・・・銀、三十匁・・・・七十名
鹿恋・・・・銀、十八匁・・・・六十六名
端・・・・・銀、三匁〜五分・・百六十七名・・五千円〜八百円
18 名前:
遊び人[]投稿日:01/12/15 07:43
陰間茶屋って知ってる?
20 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:01/12/15 14:26
>>18 江戸開城後、薩摩の兵隊がはまりまくって、腑抜けになったアレでしょ。
139 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/08/06 21:08
吉原って今の上野あたりにあったんだよね、
そうなると陰間茶屋が多く占めていた町ってどこに在ったんだろう・・・
142 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/08/31 13:12
>>139 湯島天神の周辺〜不忍池の東側。
>>132
肛門を「法性華(ほっしょうげ)」とも言いますな。
150 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/09/29 14:42
>>139
陰間茶屋の多くは芳町を始め 木挽町 湯島天神 塗師町
神田花房町などに多くありました。
客は主に僧侶だったらしいです。
503
名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/08/07(日) 15:59:56
陰間茶屋って、男も相手にしてたけど
奥女中や金持ちの後家さんとかも相手にしてるよ。
504 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/08/14(日) 17:40:54
女が女の相手をするの?
505 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/08/14(日) 21:16:40
>>504
若い男子がトシをくうと男の客を取るのに具合が悪くなってくるから、
そうなったら女の客の相手をするようになるの。
506 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/09/01(木) 23:20:12
どういう意味で具合が悪くなってくるの?
507
名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/09/02(金) 01:13:46
22 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:01/12/15 15:05
日本古来の性風俗って夜這いとかカイツリサン(?)とかおおらかで良いよな。
祭りってのも本来はセックスフレンドを探す儀式だった。
23 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:01/12/15 21:32
42 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:01/12/29 11:04
こけしって昔の人はそういう用途で使ってたの?
46 名前:
阿多地区人[]投稿日:01/12/30 21:07
47 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:01/12/30 23:26
>46 もすこし親切に書いてやれや。
間引いた子供の供養という説あり。だから、「子消し」ね。
56 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/01/18 11:08
避妊はどうやってしてたんだろう?
膣外射精?
57 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/01/18 12:29
59 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/01/30 00:50
>>56 コンドームは明治中頃にはこっち来てたんじゃないんかな?あれは昔、羊の腸の
皮だったし・・・
64 名前:
山野野衾[]投稿日:02/02/01 19:36
>59 今手元に資料が無いのでうろ覚えですが、それ以前から使用されており多く
は高級品の為洗って再利用されたとか。
ちなみに腸を利用したものを最初に発明したのは17世紀初期の英国の医師
だそうで、爵位まで授かったとか。
109 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/04/23 23:30
江戸時代にコンドームがあったそうだ。
オランダからの舶来品、名前はリュールサック、日本名「茎袋」。
材質は皮で硬くて使い心地は悪かったらしい。
511 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/10/08(土) 13:08:59
江戸時代は避妊法ってあったの?
外出しって現代確立されたものじゃないのかな?
514 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/10/08(土) 15:40:52
>>511 吉原の遊女たちは、秘書の奥に布などを詰めていたそうですよ。 90 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/03/19 19:32
なんだか江戸時代の性風俗がものすごく開放的だった
みたいに書かれているが、あくまで明治期の厳格な性風俗に
くらべてということだぞ。
銭湯(湯屋)も寛政の改革以降は原則男女別々であるし、地方の
混浴でも若い女性が入っていれば相当気を使ったらしい。
たしかに江戸時代はユニークな時代ではあるが、幕府の厳しい儒教的
統制が行われていた事実を忘れてはならない。
手放しで江戸時代を賛美するのは歴史を真摯に学ぶものとしてどうかな
と言いたい。
93 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/03/19 19:51
儒教的原理で支配されていた江戸時代にあっては不倫は大犯罪。
男女とも死罪。
性が比較的明治期よりも自由なのは未婚男女に限っての話し。
それもどこかのバカが書いているような乱交状態ではない。
99 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/03/31 00:29
>93 ハァ??
儒教倫理でガチガチなんて、武士だけなんですけど?
若者宿とか、夜這いとか、陰間茶屋とか、何でもありでしたけど?
102 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/04/02 17:48
>99 その武士の原理で世の中が統治されていたことは理解できるよね。?
男色は今の世の中よりも認められていたが、それは女犯の
アンチテーゼとしての評価であることを忘れてはならないし、
夜這いにいたっては地方にもよるが既にこの時代にあっては前時代的
風習。
煽りで情報を聞き出そうとしているのかしらないが、もう少し
自分で調べてから書きなさい。
あくまで世の中の支配は武士の儒教原理で行われていたのであり、
支配者の思惑とは別に一部で性が乱れることはまたべつの話し。
そんなに江戸時代が自由で何でもありの時代ならなぜ心中ものが流行ったり
するのかね?
都合のいいところだけとりあげて勝手に理想化するのはよしなさいと言いたい。
104 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/04/20 01:07
>その武士の原理で世の中が統治されていたことは理解できるよね。?
その武士が村方のことは面倒だから関わりたくない、年貢さえ払ってくれてれば良いという考え方だったことくらい理解できるね。?
184
名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/11/07 01:40
>>93
姦淫罪で死刑になるのは武士階級。
庶民はけっこう遊んでた。
209 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:03/01/12 22:51
>>184
>姦淫罪で死刑になるのは武士階級。
庶民はけっこう遊んでた
想像で発言しないで下さい。「姦通罪」は一般庶民にも適用され
ています。女性は全員死罪。男もほとんど死罪です。
妻の姦通を赦しても、お咎めはありましたよ。
どこでもいいですから、藩の公式記録文書を読めば、一年のうち
に何件もそんな記録が載っています。
是非ご覧下さい。
210
名前:
日本@名無史さん[]投稿日:03/01/13 04:11
ケコーンしてる場合は厳しい。不義密通は死罪と相場が決まってる。
ケコーンしてない場合は地域差があるけど、江戸の町人の場合は町内に
木戸と木戸番がいて一定時刻に閉まるし、開いてても木戸番が
さりげなく出入りをチェックしてて、誰と誰が恋仲だとか、誰の処に
オトコが通ってくるろか、喋りちらす。つまり衆人監視の元に
恋愛沙汰をすることになり、二股とか浮気はすぐバレるから
下手なことはできない。
そのかわりプロが安く買えたから、どうしてもという人は岡場所
逝ったり夜鷹を買ってたと思われ。
シロート娘はやめときなさいってこった。
106 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/04/21 01:30
長屋なんかで後家のおばさん(といっても30代半ば)が若造に「あんた男にして
あげるわよ」といって指導してあげていたというのは有名な話。
127 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/05/22 07:32
夜這いってよくわからんです。夜かってによそんち入って人妻とやったりとか?
すぐ横で寝てる自分の娘が忍び込んできた野郎にやられちゃうとか?
同意?無理矢理?どっちにしてもいいなー。
128 名前:
d[sage]投稿日:02/05/22 09:45
閂あけといてつって
開けてくれる娘なら同意だろ。
130 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/06/17 22:44
夜ばいの風習をもって、性に開放的=おおらか というのはドウカ
141
名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/08/31 12:38
>>127
>夜這いって...夜かってによそんち入って人妻とやったりとか?
勘違いしてますよ、当人同志示し合わせての和姦行為。強姦ではありません。
古代からの足入れ婚の残影なのじゃないかな。夜這いっていうと、
田舎の村での行為のように、受けとられているが、源氏物語の光源氏の
姫との逢瀬も基本的には、夜這い行為なんだよ。
146 名前:
[]投稿日:02/09/15 04:21
「夜這い」の語源は「呼び合い」であるという説がありますね。
家が社会構成単位である都市部はともかく
農村集落においてはムラそのものが運命共同体。
そのムラの中で男女が呼び合い生殖を行うのが夜這い。
ムラの中の男女の間に生まれた子は誰の子であれムラの子として養われるのが習い。
ただし、村の外の男の子となるとちょっと面倒な事があったらしいがね。
現代とは比べ物にならないくらい乳幼児の死亡率が高かった当時
より強い子を産み育てる事が重要であったためと想像できる。
なお夜這いの習慣はほんの100年前、明治時代までは普通にあった習慣。
「八つ墓村」とか見た事ありますか?
心中ものはほとんどが都市部の話。またいくつかの例外を除けば遊女との恋物語。
「身請けしたい、でもお金がない」「親が許さない」などなど
伊達騒動は高尾太夫を伊達藩主が身請けしたところから始まっている。
戦後、西洋倫理が入ってくるまで日本人は
概ね性におおらかであったというのは間違いではないと思うよ。
154 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/10/12 01:49
若衆歌舞伎の時代、役者は3種類に分かれていた。
舞台子は主に舞台で演技をする。
色子は舞台にも出るが贔屓客と床を共にする役目が主体。
飛子は役者としての名前はあるがもっぱら身を売るのが仕事。
陰間の盛りは14歳頃。本来の仕事は17歳頃までで終わる。
以後は主に女性客に奉仕するようになる。
155 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/10/12 03:17
猫の蚤採りも忘れちゃ困る。
156 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/10/12 16:48
何それ?
157 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/10/13 02:59
>156 元禄時代には、猫の蚤取り屋が仕事として存在した。
んで、猫の蚤だけじゃなく、猫の飼い主である妾や後家の
空閨も紛らわしていたらしいよ。
165 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/10/27 13:29
つーか江戸期の性風俗が大らかだったってのは聞いたけど、明治になったとたん
厳格になってしまったわけ?文明の進歩が今より各段に遅かった時代に
そんなに短期間で社会風習が変わるものなのかな?
江戸期においても性に寛容だったのは一部のドキュン達だけだったんじゃないの?
166 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/10/27 14:05
>>165 西洋に追いつけ追い越せを国是にしてしまったからね。そのヨーロッパ
から「はしたない」と軽蔑された性風俗は真っ先に取り締まりの対象に
なってしまったわけ。各地に残っていた夜這いの風習も、道祖神などの
形象崇拝物も全てこの時期に廃棄されている。
その反面、維新の志士たちは芸者を妻に迎えているんだが。
186 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/11/07 15:37
>165
明治政府の取締にもかかわらず風呂屋の混浴は何度も復活したそうだ。
また女性の立ち小便をどうやってやめさせるかが当時の政府の課題になっていたそうだ。
174 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/11/03 21:12
昔小学生の頃
「好色一代男」などの当時の性文化を『民族の風習を学ぶ』
とかいうお題目を付けて、授業の一環で図書館にて、クラス全員で風俗の
資料探しをさせられた時に、男色家(坊主等)や遊郭で移る、性病が触れられた
た小学生向けのカラー本が見つかって
(トータル10冊他に平家物語、光源氏等がこの本のシリーズでした)
『現在の様なエイズや性病が何故左程、本国で流行ずにいられたか』
という項目が有り、其処には
「双方発病が発覚した時点で切り捨て、焼いて遺体を処理していたからである」
というのが忘れられず、書き込んだのですが、本当の所はどうなんでしょうか?
此処のスレ見ているうちに思い出して、書き込ませていただきました。
175 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/11/03 23:46
エイズはないだろうが、梅毒や淋病ならあたりまえに広まってたみたいだけどね。
淋病なんて若衆の通過儀礼みたいなもん。
178 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/11/04 02:31
>>174の主旨は
>双方発病が発覚した時点で切り捨て、焼いて遺体を処理していたからである
こっち↑の方にあると思うんだけど…
私も知らないなあ。誰か知ってる人いる?
伝染病患者を「切り捨て」って、あったんだろうか。
196 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/12/29 20:44
>178
もちろんありましたよ。江戸時代から。
癩病とか性病患者は、武士の家族でなければ隔離されました。
ほとんどの町では、被差別民と同じところに住まわせたのです。
開放性結核でない結核患者を隔離していたのなんて、ごく最近
まででしょ?いまだって、してそうな気がするよ。
公式にじゃなくて、「市民」がそうした人を煙たがっている。
>166
>各地に残っていた夜這いの風習も、道祖神などの
形象崇拝物も全てこの時期に廃棄されている。
RES;そうでもない。山間部の村々には、かなり遅くまで残っていた。
俺の知る限りでは、昭和に入っても残っていたと聞いている。
祭りのたびに男を物色し、誘ういい女を嫁にすると、みんなから
羨ましがられたと、まじめに書いてある、とある町の町史を知ってる。
だから、「ヴァージン」は逆に、誰も見向きもしない女ということ
だったと書いてあった。
194 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/12/18 09:52
芸者と女郎では、社会的な扱いが違うようだが、どうなんでしょうか?
明治の元勲たちは、芸者と結婚しているのだが、芸者は客とセックスはしない
のですか?
195 名前:
日本@名無史さん []投稿日:02/12/23 15:03
>>194 吉原の芸者は一応、客は取っちゃいけない事になってたらしい。
でも通人の間では芸者買いが流行ってたとか。
吉原以外の芸者は知らん。スマソ
197 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:02/12/29 20:50
>>194
明治時代初期には、女性の「処女性」なんてことは考えていない。
処女性を問題にするようになったのは、戦後じゃないかなぁ。
「昔は見合い結婚」と思い込んでいる人がいるが、あれは一部の
「士族」のプライドの高い人たちのことで、多くの民衆はそんなこと
は考えていなかった。
しかし、何で女の処女性だけを問題にしたんだろう。
203 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:03/01/05 18:34
処女崇拝は明治24年頃、北村透谷が「処女の純潔を論ず」という
論文を書いたのが始まりと言われている。明治の御世になって
文明国の仲間入りをしたのだから、女は結婚するまで処女である
べきだと主張した。
204 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:03/01/05 20:21
>>203 僕もそうだと思う。
文明国の仲間入りをしたのだから、女は処女であるべきだと。
しかし、最近のアメリカを、ヨーロッパを見たら、透谷さんも
腰抜かすべな。
二十歳過ぎたバージンを探すのは、本当に大変だって。
「処女」を問題にする奴らって、結構、差別論者だ。
明治初期のキリスト教の指導者たちって、かなり差別的発言し
ていたらしいし。「西洋かぶれ」は、自分を高久見せたいためな
んかなぁ。
女の処女性だけ問題にするのは、それこそ問題だべ。
205 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:03/01/05 20:31
>>204 男の童貞性ははっきりとは分からないからねぇ。本来は双務的な話なんだろうけど。
216 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:03/01/29 23:02
明治の頃は西洋の上っ面だけ見て美化する連中が多かったからね。
別に「最近の欧米」だけでなくて、向こうの歴史調べたら大して変わりないって分かるよ。
「モラルが優れてる」から王党派に代わって支配する権利があるんだって市民革命以後に政権取った連中が
自己美化、正当化しはじめて粉飾されていったんじゃ。
明治ぐらいまで、西洋の街歩いてるだけでロリ・ペド自由に買えたし。
イギリスの作家のオスカーワイルドはいつも小学生ぐらいの男を買ってて
挙句に貴族の息子に手をだしてホモとして投獄。
キリスト教だからホモが公になるのはやばかったらしい。教会や修道院含めて陰では結構やってたらしいが。
221 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:03/02/01 04:32
江戸時代の性風俗の特徴。
1)10代半ばから後半で結婚。→生物学的に女性が子供産むのにもっとも
てきした年齢が15歳から18歳ぐらいらしいので江戸時代のほうが現代より
自然の摂理に従っていたといえるでしょう。
2)離婚率が高く再婚もすみやかにおこなわれていた。→離婚や再婚が社会的
に受容されていたということ。
つまり江戸時代の日本には自由恋愛がないようでじつはセックスありの
自由恋愛を社会的に受容するというかなり文化的に成熟した状態であったといえるでしょう。
226 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:03/02/06 00:17
以前なにかの本で、江戸時代の江戸の人口の男女比は8:2で男性のほうが圧倒的に多かった、という記述を見たことがあったのですが、これは本当でしょうか?
かなり昔なのでどの本だったかも忘れ、またネット上で検索したのですが、どうもよく分かりません。
ひとつだけ、男女比は8:2、と書いてあるHPを見つけたのですが(そのHPの作者には悪いのですが)ちょっと推論の仕方に無理があるような気がします。
どなたかご存知ありませんか?
228 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:03/02/08 18:27
>>226 初耳なので何とも言えないのですが、8:2状態を実現するには、女子の間引き
ぐらいしか思いつかないですね。
中国やインドの一部の田舎で児童の男女比が著しく偏っているところがあり、
問題になっています。 231 名前:
226[]投稿日:03/02/08 20:11
>>228 ご回答ありがとうございます。
もし男女比が8:2なら、吉原の持つ意味が現在の吉原(ソープランド)とだいぶ違っていたのではないかと考えたわけです。
また、吉原の値段が非常に安かったこと、衆道が盛んだったこと、弥治さん喜多さんが独身だったことの説明も、この8:2説で説明できるのではないか、と。
ただ、元文元年(1736年)の人別帳によると江戸の人口は約527,000人、男324,000人、女193,000人、とおよそ3:2になっており(ttp://www.edo.net/edo/edotx/okabasyo/okatex/oka07.html)、男のほうが多いことは確かなようです。
232 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:03/02/10 19:22
>>228 参勤交代とかで、地方から男がたくさん流入してきたとかじゃないの? 234 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:03/02/12 22:52
>>228 参勤交代もあるだろうけど、家康が江戸の開発の為に職人とかを
数多く連れてったので男が過多となり、江戸で男色が流行する原因になったって読んだ事あるけど。
女が少ないからそっちに走ってしまうと。 255 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:03/04/02 23:29
ハレとケの前提なしに「江戸時代の風俗は〜」という話をするのは
どうかと思うのですが、どうなんでしょうか?
当方、民俗学初心者ですが。
256 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:03/04/03 12:25
ハレのセクース・ケのセクースってあったの?
257 名前:
255[]投稿日:03/04/04 14:00
>ハレのセクース・ケのセクース
そうじゃないけど(笑)
例えば、ハレの日だけ夜這いが公認されてた地方ってのもあるわけで、
そういう地方を「ここは夜這いが公認されてる、セックスに大らかな地方」とか
「夜這い公認の地方がいっぱいあった。だから昔の日本はセックスに大らか」と
一律に言っちゃうのはどうかと。
258 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:03/04/04 14:32
こういうのって事実はきっと文献より大分大人しかったんじゃないかなておもうな。
今だってそうだけど、文にされるネタってのは珍しい方とか読まれて楽しい事を優先しちゃう事が多い。
まじめな資料だってけっこうそういう流れだし。
259 名前:
255[]投稿日:03/04/04 23:09
レスありがとうございます。
そうなんですよね。ハレの日にだけ公認されていたということは
逆にいえば、ケの日には禁じられていたということで。
だから年に1〜2日しかないハレの日には思い切り羽目を外したんじゃないかと。
で、そういう日の話が当時でも珍しい出来事として文献に残ったんではないかと。
祭りが大事に伝承されてきたのも、羽目を外してよい大事な日だからであったからで
現在はその意味を外して、伝統行事だからという理由だけで祭りを残そうというのには
無理があるかと。
290 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:03/06/02 18:06
武家や仏教界は「衆道」とかいって、少年のおかま掘ったりするのが
あたりまえだったとか。日本は長い間「おかまほる」のをあたりまえ
にしてきた文化だったんだな。だから「菊」の文化ってわけだ。くさそー。
298 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:03/06/07 23:58
衆道に関しては江戸時代は今よりおおらか
312 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:03/07/03 16:09
昔の堕胎は水銀を飲んだってほんと?
313 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:03/07/03 18:10
水銀飲んだら普通は死ぬ。
死んでもいいつもりで飲まさせるか。事実あったらしいけど、
堕胎専用の医者っていうのがいましたよ。
結局の所江戸時代は子供は宝だったんで(病気でよく死ぬから)
普通のお家では誰の子かさっぱり解らなくても喜んで誰かが育てたらしい。
お風呂屋は混浴だったから、そこで妊娠してしまう娘さんもいたらしいしな。
314 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:03/07/03 22:10
>>313 地域で子供育てる、という発想があったわけだ。 316 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:03/07/06 21:13
>313 >
お風呂屋は混浴だったから、そこで妊娠してしまう娘さんもいたらしいしな。
風呂場でセックルいたしたってこと?
堕胎薬としてはアロエとかあったし、水銀よりも普通はそっちを使ったよねぇ。 317 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:03/07/06 23:01
お風呂場でやっていたんでしょうなぁ。簡単に。
湯女っていう風俗もあったし(普通の風呂屋で春をうっていた)
江戸は性にあまりにもオープンだったから、
外人が初めてみたとき嘆いたらしいよ。あまりにも乱れてて。
風呂場で傷物になっちゃならない大事な娘さんの場合は
娘さんを真ん中にサンドイッチしてバーさん2人がガードしていたとか
何か本で読んだ。
327 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:03/07/29 14:09
女性の下着ってあったんですか?
332 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:03/08/05 22:04
女性用の下着もフンドシです。
333 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:03/08/05 22:05
普通は腰巻きしているだけだけど、必要性に応じてフンドシを着用ですよ
338 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:03/08/06 19:07
345 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:03/08/19 20:52
大悦=オナニー
天悦=セックル 僧侶の隠語です。なんでこういうかわかる?
346 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:03/08/20 23:32
347 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:03/08/21 21:17
>>346 「大」という字をバラすと「一人」
「天」という字をバラすと「二人」でしょ。
一人で気持ちよくなるか二人で気持ちよくなるか、ということらしいです 349 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:03/08/21 22:48
おお!納得しました。なるほどね〜
350 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:03/08/28 21:57
354 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:03/08/31 15:15
「ずいずいずっころばし」って江戸時代にできたんだっけ?
あれって商家の娘と下働きの、密通だかレイープだかの下世話な話らしい。
童謡として歌ってるの見るとおいおい、て思う。
355 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:03/09/01 17:38
ぐぐって見たけど、なんか色々な説があるみたいやね
366 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:03/10/05 13:06
江戸幻想を攻撃する(うる覚え)って本はおもしろいぞ
アンチ遊女本なんだけど、遊女の平均寿命は23歳だったことや
自分から遊女になろうとした女性が一人も居なかった(古代ローマの剣闘士は
王族や貴族出身者が志願することがあった)
農村の性の自由の中には強姦の自由も含まれていた。
ッてことで江戸時代の性文化賛美を批判している
376 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:03/10/25 23:36
遊女に自分からなろうとはしなかったとしても、それなりに与えられた状態を
楽しんでいた女はいるだろうな。
江戸末期に長崎の遊女が、白人男はうっとりするほど美男がいる、
と言って争って抱かれたがった、という証言があるし。
農村の強姦の自由って、夜這いとかのことだと思うけど、一方で女が自由に
男を引き込む自由もあったわけで、何事にせよ極端な肯定・否定は真実から
遠いだろうと思う。
389 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:03/12/11 02:27
家康がうらやましい
390 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:03/12/11 02:31
>>389 家康は子孫を残すために、経産婦を夫人に選んだんだよ。
秀吉のような生娘好きとは意図が違う。
405 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:04/01/09 13:53
京や大坂の遊郭の遊女は一晩に客を一人しかとらなかったらしいのですが、
吉原では『廻し』といって何人かを相手にしてもよいことになっておりました。
籬の向こうから「登楼(あ)がっていってちょうだいよぉ」なんていわれてその気になって登楼したはいいものの、
馴染みがやってきたりなどすると遊女は馴染みのほうが気心が知れていますから、
つい長居をしてしまってほかの客はおろそかになりがち。
待たされているほうは手酌で酒を飲みながら、「早くこっちにこいって花魁に言ってくんねえ」などと若い衆をせっつき、
それでもやってこなければ酒も入っているのでいよいよ腹が立ち、喧嘩っぱやいお兄いさんだと、
ようやっときた遊女に向かって手を上げたりすることも少なくありません。
怒りの声と悲鳴は大声なのでよく響きます。
遣り手や若い衆が何事かとやってきて「声を荒立てたら隣に響きますから」などと仲裁に入り、
「俺も大人げなかった」と客が反省すれば、遊女と仲直りの盃を交します。
413 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:04/02/17 17:12
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424 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:04/04/27 20:22
江戸時代の春画には
>>413の様なものが描かれていないのですが(あくまで私が見た限りでは)
今の様に普遍化していなかったのですか? 425 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:04/04/27 20:37
>>424 尺八という隠語があったくらいだから、性技としてはあったでしょうね。
ただし商売の人達の特技としてだろう。
まぁ尺八の隠語としての歴史を調べてみないとわからないが。
フェラが普遍的になったのはHビデオが出回るようになってからだな。 426 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:04/04/27 21:00
…ってことは、フェラよりも触手の方が先立ったのか
427 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:04/04/28 21:46
尺八は江戸時代には隠語として存在していた事実はありません
フェラが時代によってどの程度普遍化していたかは
正確な統計をとる事が困難な様です
428 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:04/04/29 08:50
春画でクンニは数あれどフェラはほとんどないとは杉浦日向子の弁
444
名前:
日本@名無史さん[]投稿日:04/07/09 15:10
>>428
ほとんど無いと言うことは普通すぎてエロく感じないということでは?
あたりまえのことは記録に残らないの法則
436 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:04/06/04
04:04
吉原での花代はいくらくらいだったんですか?最高級の郭と平均的な郭の値段
誰か教えてちょ
443 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:04/07/07 13:50
>>436 ○ 新造付き呼び出し・・・
最上級の遊女で、揚代は1両1分
○ 呼び出し昼三・・・・・・・ 昼間の揚代が3分の上級遊女
○ 座敷持ち・・・・・・・・・・・ 自分用と客用の部屋を持ち、揚代は2分
以上までが、「花魁」と呼ばれていた
○ 部屋持ち新造・・・・・・・
若い遊女で、揚代は1分 445 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:04/07/12 12:25
>>443 吉原についての資料って、何かお勧めありませんか?
性行為そのものはどうでもよくて、システムについての
解説とか、性行為に至る前の「遊び」とか、そういう類
いのものなのですが。
今のソープランドあたりとは、まったく趣が違うのでは
ないかと思うのですが。 446 名前:
若隠居[sage]投稿日:04/07/12 22:39
>>445 とりあえず落語聞け。CDでもテープでもDVDでも。図書館行けば結構置いてる。
「明烏」「五人廻し」「紺屋高尾」ナドナド…
題名失念したが、亭主が間男して、かみさんが売るという悲惨なシチュの噺があるねえ。
滑稽話だけどねw 447 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:04/07/13 05:23
>>446 落語は聞いてるのですよ。かーなり。志ん生の艶話とかは実に良い。
特に前の世代の話は実体験が混じっていて面白いです。志ん朝ので
も、女知らない若旦那を遊びに慣れた人が連れていって……なんて
のも好きですが。その若旦那が、「かさっかきになりますから行き
ません!」とか言ってるのを聞いてると、性病はものすごかったん
だろーなと想像できたりしますが。
んが、その「江戸の遊び」というのをシステム的に知りたいなー、と。
現在の性風俗というか、射精産業に行ってみたいとは思わないので
すが、落語やら何やらに触れれば触れるほど、昔の大門は越えてみ
たい……。 448 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:04/07/13 10:51
>>447 江戸古川柳の本がいいぞ。大きい本屋行って、内容確かめてから買うがよし。
解説本みたいなやつな。 453 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:04/08/10 12:28
戦後の昭和時代でも関西では嫁入り道具に春画を持たせてたよね
いまどきはビデオがあるからどうなんだろう
468 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:04/11/27 07:14:21
江戸時代は混浴が当たり前だった?
470 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:04/11/27 15:27:44
>>468 それが普通でした。大きいお店のお嬢さんなんかは、痴漢に遭わないようにと
営業終了間近にお母さんなど付き添ってもらって入っていたようです。
もっと大きいお店なら、自宅に風呂があってそのような心配はなかったようですが。
江戸時代の湯屋の様子を描いた絵を見たことがありますが、中は蒸気で真っ白、
けしからぬことをする男性が多かったようで、「テメエでセンズリでもかいときな」と
どっかのおかみさんが怒鳴っているセリフつきのリアルなものでした。 471 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:04/12/23 14:51:59
どうせならお父さんに付き添ってもらえばもっと安全なのに。
473
名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:04/12/23 19:57:44
>>471
中は一緒だけど、出入り口は今の銭湯のように男女別だったような。
472 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:04/12/23 15:26:03
つか、男の方が見ない振りをしていた。
下手に見てると桶が飛んでくるから。
491 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/07/03(日) 16:05:14
江戸時代の頃庶民の男の8割はみな独身だったそうな 訳は今みたいにお金を
稼げなかったとのこと はたして今と昔どっちがよいのか?
492 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/07/15(金) 10:16:39
長屋なんかでも嫁を貰えるのは生活力のある証拠なんだよね。
516 名前:
ゲイ[]投稿日:2005/10/08(土) 23:50:44
昔はローションとか無かったょうだけどケツにハメるとき潤滑剤は何使ってたの?
517 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/10/09(日) 07:04:17
>>516 腰湯に浸かってお尻を温めてから、道具を使って少しずつ広げていったようです。
小さめのから始めて、慣れてきたら大きい物へだんだん変えていったらしい。
潤滑剤等について記述されたものはまだ読んだことないので、わからないです。 525 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/10/14(金) 08:01:30
吉原などには相当、梅毒が定着していたようだな。
遊女は梅毒を発症して一人前と言われることがあるくらいだ。
538 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/10/24(月) 18:46:03
江戸時代、梅毒にかかってしまったら湯治場に療養に行ってたそうです。
長屋のご近所さんでお餞別あげて、装束まで調えてあげた。
今なら、性病にかかった人にこうやって面倒見てあげるなんてありえなさそうですよね。
550
名前:
日本@名無しさん[]投稿日:2005/12/21(水) 16:43:22
江戸当時は梅毒と言わず花柳病と呼んだと思うが、いかがなものか。ちなみに梅毒は西
インド諸島の風土病だったのがコロンブス一行が持ち帰り、船乗りの多くがいたジェノバ出身者
より世界中に広まったようだ。
539 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/10/29(土) 01:30:27
江戸時代の人って巨乳には興味なかった?
なんか春画みても下半身ばっかだし
当時はピンク色信仰とかあったんだろうか
540 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/10/29(土) 16:05:42
女性の胸をが性的な対象になってきたのは、西洋文化が入ってきてからですね。
風呂を覗かれたり、裸でいる所をふいに見られたら、現代女性は胸を隠すでしょ?
昔は下の方を隠していたようです。
545 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/12/08(木) 10:48:57
>>540
吉原遊郭の入浴風景を描いた図なんかでも、
みんな下を隠してるもんね。
湯屋にはアンダーヘアのお手入れ用軽石(毛先カット用)があったというし。
541 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/10/29(土) 18:49:50
全裸になってセックスする習慣もなかっただろ。
中国では今でも全裸セックスは一般的ではない。
でも、湯屋では男性客の体を洗う湯女は、わざと自分の胸を客の体に
当たるようにして客をその気にさせて、風呂上りに遊んでいってもらおう
ということをやってたらしいから、性的な対象ではなかったとは言い切れ
ないかな。