引用元:日本史板「評価は低いが実は有能だったと思われる人物」
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1126809392/
1 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/09/16(金) 03:36:32
4 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/09/16(金) 04:16:08
徳川綱吉
生類憐れみの令などで悪名高いが、それ以前は湯島聖堂を建てたりして善政を施したらしいね。
近世その評価が見直されてるって聞いた
5 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/09/16(金) 06:08:31
綱吉は大名を些細な理由で取り潰したり
ある種の恐怖政治だった。有能かどうかは?かな。
6 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/09/16(金) 07:02:29
些細な理由での取り潰しは江戸幕府の誰の治世でもあったんじゃない?
綱吉が政治を近臣に任せきりになる前は特に学問の発展に力を注いだみたいね。この当時元禄文化が栄えた訳だが綱吉の善政に依るところも少なくないのでは?
生類憐れみの令も動物ばかりでなく、孤児や身寄りのない者達の保護の意味もあったらしい。
貨幣の改悪等、決して最高の名君とは言えないけどもう一度再評価されてもいい人物だと思う。
8 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/09/16(金) 12:52:35
大塩平八郎
個人的にこの人の仕事っぷりや暴走っぷりが大好きなんだけど
案外評価は低い希ガス………
もう少し小説とか増やして欲しいな………('A`)
34名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/09/18(日) 01:44:11
毛利隆元かな。
評価が低いって言うか親父と下2人がすごくて目立たないんだろうけど

36 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/09/18(日) 04:47:15
徳川家斉。
彼の治世はさほど、悪い時代ではなかったと思うのだが、その割には彼の評価は低い。

44 名前:
ぷち小栗[]投稿日:2005/09/26(月) 14:57:15
一条 兼定
キリスト教徒になってからが再評価の理由です

51 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/10/02(日) 20:02:09
榎本武揚。
有能だったけど、旧幕臣でも嫌ってた人間が多い。

60 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/10/12(水) 09:28:38
ユダヤ人を助けた、樋口季一郎さん。
杉原千畝さんは知っている人が多いと思うけど、
樋口さんはあまり日本人には知られていない。
64 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/10/12(水) 13:30:00
昭和天皇
戦後処理やその後の地方慰撫はじめ、対外活動による日本の国際的地位向上
日本国内の核の廃絶や新たな「天皇家」の有り方の確立に成功
隠されていた部分がだんだんと出てきて、政治家としても人間像としても偉大な人
タブーとされ、あまり検証されないためにあまり目立たないのが残念

65 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/10/12(水) 20:41:12
徳川家重
現代の官庁会計及び会計検査制度の創始者
(いつぞやの大河ドラマでは随分アホに演出されていたが)

428 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/04/04(火) 05:20:09
徳川家重
バカ将軍の代名詞だが
田沼意次の才能を見抜いて「重用するように」と遺言
また彼の重用した大岡忠光は、彼のために復活された側用人という立場を悪用せず
あくまで分をわきまえた行動をとっていることから、
人材を見る目は多少あり、世間一般に言われているほど馬鹿ではない気がします。
66 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/10/13(木) 20:48:53
一条兼良
平安時代以降全くうち捨てられていた源氏物語などの平安文学や朝廷の典礼・学問を
戦国時代に大幅に復元、今日にこれら文化財が残ったのはこの人のおかげ
公家にとって最低の時代によくやったと思う。 大変な日本史上の功労者。
しかしこの人は、後世の自分の評価は不当に低いものになるだろうと生前から言っていた。
そしてその通りだった。。。
67 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/10/23(日) 01:18:16
徳川宗春
某時代劇のお陰で更に低評価されてるかなり不幸な人だと思う

69 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/11/12(土) 14:42:03
真田信之
評価が低いと言うより
親父や弟より目だっていない(お気の毒)

72 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/11/12(土) 17:56:57
あ、あとこれは忘れちゃいけない。
藤原隆家!
道長の兄道隆の子で、九州に赴任してたときに、刀伊の賊を撃退したこと。
にもかかわらず、報告書の形式うんぬんという理由でまったく褒章されなかった人。
あわれだ。
73 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/11/12(土) 17:58:30
過去有能な人物は現在や未来の力量を同じくするものが見つけるなんやらと勝海舟が言ってたとこを見ると何百年も
前で評価が低いのは能力が低かったということじゃないの?
74 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/11/12(土) 18:17:50
>>73評価基準は千差万別で、絶対ではないよ。
その当時の基準で無能でも、現在の基準で有能ということは有り得る。
藤原隆家なんか典型でしょ。
中央政界では道長に敗れて出世できなかったけど、外国からの侵入を撃退した、
というのはどの時代からみても有能と評価していいと思うぞ。
77 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/11/13(日) 12:05:21
堀田正睦
開国への舵を切ったの張本人なのに、井伊直弼に功績を横取りされている。

78 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/11/20(日) 23:25:24
豊臣秀次。
秀頼が生まれてふてくされて庶民に乱暴狼藉を働き殺生関白などと
呼ばれたってのはでっち上げらしいね。
実際の彼は温厚な性格で、庶民に慕われていた。
町づくりや産業の発展に尽くし、彼の整備した近江八幡水郷は文化財保護法の重要文化的景観の
第一号に指定される見通し。

432 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/04/04(火) 15:30:53
436 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/04/04(火) 23:01:50
秀次はいわゆる分権派の領袖だから家康とは仲良しだしね。
家康、利家と言った大大名や武功派や利休の派閥と三成達政権官僚の喧嘩の流れが
そのまま関が原につながって豊臣家滅亡となるわけだからまさに自業自得。
439 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/04/05(水) 22:15:04
殺生関白って比叡山で鷹狩したことから由来するんだよね
でも、そこまで分別弁えないな人間が、秀吉の養子になるだろうかね
秀吉とて、それなりに見込みがあった人物だからこそ養子にしたのだろうし‥
関白にも、10万以上の総司令官の仕事もできたのだろう‥
後世の評価の如く、無能愚物というのはさすがにありえんわな
ただ、それなりに優秀だという意見は、残っている数少ない証拠と推論しかないから
本当に優秀かどうかだったのは、やはり判断として難しい。
秀吉に対する謀反が切腹の理由だが
自分を最も引き立ててくれた養父に対して兵を向けるのは
秀次がいくら馬鹿であっても考えられんかなあ。
一応、秀次の毛利に対する書状、政宗が謀反をそそのかされている物的証拠が残っているがやはり捏造かね
政宗の方はガチかもしれんがw
79 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/11/21(月) 02:45:34
今川義元
文才は信長を超えてたろう・・・。

92 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/11/22(火) 14:04:57
>>79
文才はさておき、東海地区を一時期ではあるがほぼ掌握した力量はかなり
桶狭間も不手際はなく(桶狭間山に陣を敷く)あれは信長という天才に敗れただけ
82 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/11/22(火) 00:01:28
夢想流杖術の開祖・夢想権之助。
史実の彼は、武人界の中でも超一流といえるであろう、
超人的に文武両道に秀でた激烈エリート。
しかも、高級武家の御曹司で、おまけに超イケ面だったらしい。
因みに、岡倉天心も、と言えるな。。

84 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/11/22(火) 00:33:49
末次信正海軍大将
政治家としてでなく、あくまで海戦戦略家として。

85 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/11/22(火) 02:09:25
やっぱり前田利政だろ?
本来前田家の家督を継ぐはずだったが弟・利家によって家督を奪われる
生来の病弱さにも関わらず幾多の合戦に参加し、前田利益を唯一諫められた存在
だが史実では信長の次に鉄砲術の才能があったらしい

86 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/11/22(火) 03:27:37
大正天皇
明治や昭和が彼のように男児を沢山儲けておけば、
今のような状況にはならなかった。

89 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/11/22(火) 05:25:53
斎藤弥九郎
評価が低いというより、知名度が低いからかな。
教科書に載ってもおかしくないくらい人材を輩出して歴史を左右したと思う
90 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/11/22(火) 05:32:10
西郷頼母 神保修理
内部粛正によって歴史の闇に葬り去られた、
会津の数少ない現実的理性派。


106 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/11/24(木) 01:43:23
斎藤義龍
信長が美濃を攻めたのは義龍が死んでから

114 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/11/24(木) 09:58:21
最上家
回りが派手で霞んでる
115 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/11/24(木) 13:57:54
義光以外は霞んで当然のメンツだと思うが

126 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/11/25(金) 10:30:14
辻政信
陸軍きっての秀才と呼ばれた逸材。別名「作戦の神様」。
清廉潔白な人柄から人望も厚く、戦後は衆議院や参議院の議員として活躍した。

127 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/11/25(金) 16:01:28
129 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/11/25(金) 17:41:59
人肉を口にしたことと有能無能は別
むしろ、本当に有能だったのかどうかが疑問
134 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/11/26(土) 03:10:13
極限状態での食人は許されてもいいんじゃないのか?
緊急非難みたいなもんだよ。
大陸みたいに、感謝や謝意として、人肉を食わせていたわけじゃないんだから。
>>129学校での成績はトップで、その後もエリートコース一直線。
無能ではないとおもう。
139 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/11/27(日) 01:06:10
桓武天皇の父、光仁天皇。
行政簡素化・財政緊縮を目指して官人の減員をはかった。
146 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/11/28(月) 14:57:00
田沼意次
147 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/11/28(月) 18:28:35
>>146NHKの大河ドラマで主人公にすれば少しは評価上がるかも
もっとも視聴率は上がらないだろうけどw
152 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/11/28(月) 23:36:40
柳沢吉保と田沼意次だったらどちらが評価高いです?
153
名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/11/28(月) 23:45:14
158 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/11/29(火) 12:15:58
政策なら田沼に一票、開国し世界との交易まで構想していた壮大さをかうよ。
白河の超石頭野郎のせいで、このことほとんど知られていないけど。
処世術なら柳沢、厄介な暴君を操り権勢を極め、しかも終わりを全うし子孫も大名として繁栄したという稀有な存在。
まあ田沼家も大名としては残ったけど。
188 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/12/01(木) 21:01:47
>158
田沼時代はやっとロシアが接近していた程度。
とても開国だとか世界との交易だとかいうレベルに達していません。
鎖国というのは言ってみれば幕府の対外貿易独占で、
田沼政治があのまま続いても海禁は続いていたわけ。
148 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/11/28(月) 18:41:34
北条高時
彼が書いた文書を見るととても暗君とは思えないほど立派な筆跡だったとか
最後のときも立腹切って武士らしく死んだそうだし、長崎親子に実権握られなけりゃ
もう少しまともな政治を行ったかも
でもNHK大河ドラマ太平記の鶴ちゃん演じるアフォな高時もイイw
「公平、公平、公平とは疲れるものよのう」
149 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/11/28(月) 20:44:32
小沢佐重喜
椎名悦三郎
東條がバカやったばっかりに、岩手の代議士は凶状持ち扱い…
総理・総裁の器だったのに…
結論:ナンダカンダ言っても鈴木善幸の実力は恐るべし。


160 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/11/29(火) 19:38:22
竹下登
リクルートで失脚した汚職首相のイメージが先行しているけど
政局での戦闘力は凄いの一言

609 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/09/04(月) 22:52:28
岸信介の日米安保とか
竹下登の消費税とか
今からみるとこれしかないという政策なんだけど
その当時はマスコミは叩くんだよな
マスコミがいかに先が見えないというか
165 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/11/29(火) 21:32:04
島左近

166 名前:
;[]投稿日:2005/11/29(火) 21:35:33
>>165 島左近は知名度が低いだけ。大谷吉継も大絶賛してる。
170 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/11/30(水) 10:58:55
>>165 >>166どっちかっつーと 日本史板じゃなきゃ 大谷のほうが島左近よりもマイナーだと思うのだが

178 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/12/01(木) 11:13:50
>>170
大谷も島も世間では知らないだろうな
関ヶ原と家康先行で三成も長く評価されなかったし
186 名前:;[]投稿日:2005/12/01(木) 20:24:17
171 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/11/30(水) 19:57:13
小西行長
関ヶ原で死ななきゃ、もっと評価されてたと思う。
軍事のほうも朝鮮で先手まかされたくらいだから結構なものがあったはず

172 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/11/30(水) 23:23:30
羽柴秀長

175 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/12/01(木) 09:52:18
>>172秀長については、太閤秀吉の有能な弟、彼が長生きしたら家康は天下を取れなかっただろう
といのが一般的な評価じゃないの、これのどこが評価低いの?
180 名前:
172じゃないが[sage]投稿日:2005/12/01(木) 12:16:34
>>175
「一般的」がどの程度の認識を差すのかは知らないが、
少なくとも一般人で秀長の存在を知っている人はあまりいないと思うし、
秀吉の重臣の話になっても、竹中半兵衛や蜂須賀小六、加藤清正、石田三成の名が挙がったとしても
彼の名前はほとんど挙がらない。
185 名前:
175[sage]投稿日:2005/12/01(木) 18:42:02
>>180
たしかに、マニアとまではいわないまでも歴史好きくらいの人じゃないと秀長は知らないでしょうね
「功績の割には知名度が低い」を「評価が低い」と解釈するならそのとおりですね
本当は172さんが秀長を選んだわけをカキコしてくれたらよかったのですが・・・
189 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/12/01(木) 22:56:26
柿崎景家
軍事評価が高いが内政面では一般的な(一般で柿崎知ってるのは大抵が歴ゲーによるものかと)評価が低く見られがち。
ノブヤボや大閤では数値一桁とかで柿崎は戦馬鹿のイメージがあるが彼は斎藤朝信ら他2名ととも当時、最大人口が京に次ぐほどであった時もある越後府内において奉行に抜擢されている

193 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/12/02(金) 01:49:25
徳川慶喜
名君説、バカ殿説いろいろあるけど
名君に一票、彼でないと維新が何年も遅れたと推定

194 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/12/02(金) 08:19:24
ケーキ様は凄いだろ。暗君だったら幕府維持しようとする。
196 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/12/02(金) 09:53:55
徳川宗家十六代 徳川家達(いえさと)
慶喜の後を継いで十六代当主となり、後に貴族院議長として30年間貴族院に君臨し、
明治時代末から昭和初期にかけて政界で権勢を振い、「影の首相」といわれた。
昭和になると青年将校達から「保守派の巨魁」「君側の奸」として命を狙われたそうだ。
慶喜を知っている人は多いけど、「闇将軍」w家達を知ってる人はほとんどいない。

200 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/12/03(土) 00:21:58
蘇我稲目
佛教導入は大きく評価していい
218 名前:
日本@名無史さん[a]投稿日:2005/12/06(火) 01:49:56
有能なのにマイナーと言えば
蒲生氏郷…信長に才能を愛され娘婿にまでなっている

結城秀康…ついに戦場で采配を揮うことのなかった無冠の大器?

大友宗麟…自ら采配を揮った戦は無敗、交易,中央情勢の把握等も非凡
自己統制スイッチのON,OFFが激しすぎて衰退

220 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/12/06(火) 02:51:16
大友宗麟、大内義隆、今川義元って、出陣しても戦場まで行かず、
たまに戦場まで行ってみたら完膚なきまでに叩きのめされるって印象が。
238 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/12/24(土) 13:19:08
>>200
蘇我氏4代は悪評が高いけど、実は意外と有能の印象があるんだよな。
むしろ上宮王家の方が実は…なんじゃないか、って気がしないでもない。
>>220
確かに大内義隆って「出ると負け大名」だったみたいですわな。
1度か2度月山富田城攻めやってるけど、そのたびに完膚なきまでに叩き潰されてる。
一方でそのときの尼子の当主尼子晴久もどうしようもない大名っぽいですけどw
結局毛利元就以前の大内義興と尼子経久がすごいんであって、子孫はボンクラ、ってことなんでしょう。
今川義元は扱いが難しいところだな。
確かに花倉の乱の頃からある程度の時期まではとんでもなく有能な武将、と見えるけど、
その反面桶狭間直前はどうしようもない状況になってることもまた事実。
それを考えると義元よか雪斎がすごいんじゃないの?って気がしないでもない。
もっとも「今川仮名目録」を作ったのは父氏親だから、実はその時代の遺産を食い尽くしたから…って見方もできなくはない。
239 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/12/24(土) 17:34:32
尼子晴久はボンクラではないだろ、毛利から銀山奪い返したり
経久が死んだ後もそれなりに勢力を維持してる
242 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/01/14(土) 20:25:05
>>239
つ「吉田郡山城攻め失敗」
つ「新宮党の粛清」
上はまあしゃーないとしても、元就の謀略とはいえ下のはかなりまずいのでは?
246 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/01/15(日) 01:01:16
>>242
新宮党の粛清は元就の陰謀ではないというのが最近の通説
上はまずいが、下はしゃーない
253 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/01/15(日) 16:43:32
>>246
陰謀じゃないのなら、もっと不味いと思うのだが、
無能の極致だろう、それではさ。
256 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/01/16(月) 01:35:41
>>253
長年対立してた連中が命令を無視しはじめたのを粛清するのはしゃーないだろ
粛清後も毛利とは一進一退だったんだからマズイことはない
急死して後を継いだ義久がボンクラだっただけ
228 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2005/12/06(火) 21:24:53
河井継之助
229 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/12/06(火) 21:36:03
河井継之助は、それまでの功績を自らの手で灰燼に帰させてしまったから、
才能はあっても「無能」という最終評価を下さざるを得ない。
途中までは良かったんだけどね。

240 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/12/25(日) 23:06:31
幕末の広島藩執政・辻将曹(維嶽)
評価が低い、というよりマイナーって感じかな
241 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2005/12/26(月) 13:14:11
>>240スマン、どんな人?
某歴史ゲームで名前だけは知ってるんだけど。
243 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/01/14(土) 20:29:30
248 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/01/15(日) 01:51:15
細川高国あたりはどないじゃろ。
元々は傍流の出身なのに
変転繰り返してついには管領にまで上り詰めてるし。
まあ最後のあたりはかなりダメっぽくなってるけど……

252 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/01/15(日) 11:50:09
松岡洋右の4国同盟は博打だったが、
ドイツのソ連侵攻後の日本のソ連侵攻発言は、
アメリカとの戦争を避ける意味ではよかった。

590 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/08/31(木) 00:20:56
<松岡洋右>
国際連盟脱退の演説で、日本人の松岡が英語ペラペラで喋ったもんだから世界各国の代表がビビりまくった。
ちなみにその演説は「国際連盟史上最高の演説」と称されている。
258 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/01/18(水) 23:52:41
今川氏真
蹴鞠の名手。
今生きていたらサッカー選手だったりして。
ボールはトモダチとか言って。
それはそれとして外交がうまかったらしい。
家康とも親交が深かったみたいだし。

326 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/02/03(金) 12:01:31
>>258
その所為かどうかは知らないが彼の故郷静岡は日本有数のサッカー王国
598 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/09/02(土) 22:42:07
やはり今川氏真だな。彼の約10年間の内政や「塩止め」の策や丸薬の開発など再評価すべき。
それと仇敵織田信長の前で蹴鞠をし、生きながらえたというしぶとさも再評価に値すると思う。
599 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/09/02(土) 23:37:06
>>598
江戸時代になって家康と武田信玄を持ち上げるために貶められたんだろう。
為政者としては江戸時代だったら名君レベル。
軍事行動も謀反人を討ったり人並みにはやってる。
個人としては和歌や剣術など才能豊か。
確かに軍才に見るべき点はないけど、氏真の場合、能力よりも大切に育てられすぎたために
戦国大名としては性格が弱かったのが欠点だったように思える。
600 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/09/03(日) 13:25:37
>>599
「今川氏真の経歴」
和歌:権大納言冷泉為和らより学んだと言われ、現在も1000首を超える歌が遺る。また後水尾天皇選の集外三十六歌仙にも名を連ねている。
蹴鞠:飛鳥井流宗家の飛鳥井雅綱より手ほどきを受けたとされる。
剣術:塚原卜伝に新当流を学んだという。
以上のことから氏真はよく言われているような単なる坊ちゃんで暗愚な人物像とかけ離れていることがよく分かる。
602 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/09/03(日) 22:15:56
716 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2007/01/28(日) 17:36:04
今川氏真で思い出したが、同じ蹴鞠の名手として知られる源頼家も実は有能だったんでは?
720 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2007/01/28(日) 20:12:08
>>716
弟実朝も、政治家としては未知数のまま落命したが歌人としては有名なので、低能だったとは思えない。
721 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2007/01/28(日) 21:04:14
大海の磯も轟に寄する波割れて砕けて裂けて散るかも
こんな歌実朝以外の誰にも歌えん。有能でないはずはないが。
264 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/01/20(金) 01:54:44
徳川家宣
遺言無視の悪法廃止で江戸の住民を8000人も救済した

徳川家慶
そうせえ様と呼ばれている割にきちんと政治改革したり、徳川慶喜を見出だしたりしている

徳川家茂
上司に対して辛口の勝海舟ですら心から信頼していたし、
幕末の動乱を弱冠二十歳で無難にのりきっていた。

276 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/01/20(金) 18:46:25
忠臣・楠木正成はどぅよ?

297 名前:日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/01/21(土) 18:58:51
>>276
楠木正成は今でもきちんと評価されてるだろ。(評価のされ方は戦前と戦後ではだいぶ違うが)
過小評価という意味ではむしろ新田義貞の方がふさわしいと思う。
278 名前:
名無し@お腹いっぱい。[]投稿日:2006/01/20(金) 19:22:36
楠木正成は、戦前までは天皇に尽くしたお手本のような人物。
個人的には、足利尊氏よりは、がぜんいいと思うけど。
287 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/01/21(土) 11:31:47
>>278
でもって実は天皇に反対意見を述べたりもしてる。
(それが受け入れられなくて湊川の戦いに至るわけだけど…)
ただのおべんちゃら使いではなくて、内実の伴った「忠臣」でもあったわけだ。
これは当時の社会をくまなく把握してないと実は難しい…
あの時代の理想の体制を言うなら、尊氏トップで正成サポートってのがベストだった印象がある。
しかし正成の出自を考えるとなあ…
283 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/01/20(金) 22:04:58
北条氏規と垪和氏続
武田信玄の駿東侵攻を見事に撃退している。
信玄の謀略を見抜いていたりもしている。
288 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/01/21(土) 12:02:09
老中阿部伊勢守正弘
弘化二年に老中首座になってすぐに海防掛を設ける。
ペリー来航の八年も前である。
この海防掛から、岩瀬忠震、永井尚志などの後に
ハリスをしてその心胆を寒からしめた名外交官が
生まれた。
開国の準備を整えた老中である。
しかし、開国の最終決断は安政四年に彼が急死した後のこと。
彼の死が日本にとって幸か不幸かは微妙なところ。
ただ少なくとも現状の何も考えずに右往左往した無能な幕閣
という評価は低すぎ。

289 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/01/21(土) 12:22:46
阿部は世間で過大評価されてると認識してたのに過小評価だと思ってた人もいるのか。
別に無能だと思ってるわけじゃないけど。
なんか大奥に烈公に諸大名にと八方美人な感じを受ける。
平時の宰相としてはベストなタイプって感じ。
何も考えずに右往左往した無能な幕閣と言う評価は聞いたことも無いが
これが世間の評価なのだとすると確かに過小評価だが。
293 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/01/21(土) 16:37:53
>>289井伊が過小評価じゃないかな。
ついこの間まで薩長系の明治憲法政府だったからやむを得ないが。
あの時点であれしか決断のしようがない時に蛮勇をふるって
よくぞ決断したのではないかと。
320 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/01/29(日) 18:14:17
>293
阿部ひいきの漏れから言わせると、阿部の用意したものに
認め印を押しただけという気はしないではないが。たしかに
その認め印は、同時に自分の死刑執行命令にも押すこと
になるわけだから、井伊の胆力がすごいのは確か。余人に
まねできることではない。
と考えていて、スレタイに該当しそうな人物発見。あの時点で、
井伊を大老に任命した徳川家定って実は以外と切れ者?
当時家定に仕えていた小姓が維新後に語った言葉でも、
「馬鹿将軍なんてとんでもない」という話が出てるし。
どんなもんでしょう?
298 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/01/23(月) 18:40:29
東條英機

299 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/01/23(月) 18:42:40
>>298東條は無能だよ。でも悪人ではない。頭が悪かっただけ
300 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/01/23(月) 19:00:27
>>299首相としては確かに有能とはいいがたいが
官僚としては、いいせんじゃないだろーか
307 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/01/25(水) 15:41:18
織田家は有能な人材がいたけど、毛利元就には息子以外有能なのはいないのか?
317 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/01/25(水) 23:21:11
>>307
元就の初期体制を支えたのは志道広良だわな。
で、半ばくらいから、桂とか福原とかといった後々家老職をやるような苗字の連中が出てくる。
しかしいかんせん地味なんよね。
330 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/02/03(金) 15:15:01
中岡慎太郎は、もっと評価されても良いように思うが・・・
331 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/02/03(金) 16:51:19
>>330その功績がほとんど龍馬のものになっちゃってる感じだよな。 332 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/02/03(金) 23:14:55
水野守信と水野忠徳
守信はイギリスとの国交を断った
忠徳はイギリスとの国交を200年ぶりに再開した

355 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/02/15(水) 18:30:31
知らない人多数だろうが
長連龍とか有能なのに評価低いと思う
359 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/02/18(土) 11:22:03
>>355
確かに父親や兄貴の仇を狙う執念は超一流だったらしいね w
356 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/02/16(木) 01:10:31
北陸関係はなあ。
内部抗争と織田と上杉の狩場くらいの印象しかもたれてないからねえ。
難攻不落の七尾城もあるのに。
381 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/02/23(木) 23:45:05
石原莞爾。
今の総理大臣が石原なら日中関係は万々歳。
アメリカも怖くない。

382 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/02/24(金) 01:26:29
石原は有能だけど方向間違えてるからいつまでたっても正解にたどり着けないってパターンだな。
385 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/02/27(月) 11:34:50
幕末の勘定奉行で海防参与の川路聖護。
攘夷バカの徳川斉昭をなだめすかし、右往左往する幕府の対応に振り回されながらも、辛抱強く諸外国との交渉にあたった。
特にロシアとの交渉では、開国拒否の主張を貫きながら、ロシア側が好印象を抱くほどの有能ぶりを発揮したが、その後、井伊直弼に疎まれて罷免・隠居に処された。
慶応4年、官軍が江戸に迫りつつある中、作法どおり皺腹を切った後、ピストルで自殺。

389 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/02/27(月) 13:32:37
川路は、非常に丁寧に話を聞く。
話の中ほどまで口を半分開き、少し物思わしげな目つきをしている。集中している証拠である。
額に浮かんだ皺のかすかな動きから、川路の頭の中で、今聞いている話の全体の意味がまとまってゆくのがわかる。
話の半ばを過ぎると、川路の口は閉じ、額から皺が消え、顔全体が晴れ晴れとしてくる。
大意を掴んで、もう何と答えたらよいのかわかっているのだ。
言語と人種と宗教が違っても、聡明な人間には共通の特徴がある。
愚者には愚者の共通点があるのと同じことである。
川路聖護に対するロシア側の記録
391 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/02/27(月) 13:35:24
>>385>井伊直弼に疎まれて罷免・隠居に処された。
その理由は?
394 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/02/27(月) 16:17:17
393 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/02/27(月) 16:01:17
幕末の幕府官僚は有能なのが多いよねえ。
398 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/02/27(月) 20:42:41
>393
そうだね。
幕府は慢性的な実務官僚不足を補うために
勘定所を中心に身分を超えて優秀な人材を
登用するシステムを確立していて、日本中から
優秀な人物をかき集めることができたからね。
徳川慶喜が「幕府に人がいなかったわけではない。
それを用いるすべがなかったから滅びたのだ」と
負け惜しみを言っているけど、「用いるすべ」も
あったんだ。
幕府に足りなかったのは決断を下すリーダーシップ。
幕府では、こればかりは将軍にしかふるうことはできない。
「開国」でも何でも家臣を信じて早め早めにゴーサインを
出していたら歴史も違っていただろう。
その意味では「そうせい侯」こと毛利敬親は、
めくら印を押しただけとはいえ決断を下して
いるのだから多少は評価できると思う。
有能とまで言う気はないが。
395 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/02/27(月) 16:50:38
佐藤栄作 首相当時はあんまり評判がいいともいえず長い割りに地味だったけど。
今になって思うと戦後の一番いい時代だったと思う。その間ズッと首相でいたんだから
ヤッパ優れていたと思うよ。

399 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/02/28(火) 02:19:05
佐藤栄作は
「他国の戦争に兵は出さんよ、憲法とかあるし
まあ、物資は出すよ。それなりに儲けさせてもらうけどね」
だから国益という点では高評価されて良いと思う。
402 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/02/28(火) 12:33:24
在原行平
弟の業平が脚光を浴びたが
事務官僚の兄は蚊帳の外になってしまった。
406 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/02/28(火) 20:59:43
富永恭次は陸軍統制派きっての俊英で東条首相の懐刀として知られる。
フィリピン第四航空軍司令官時代は、自ら空挺隊を指揮し、レイテ島ブラウエン飛行場占拠など数々の武功に輝く。
マラリヤ発病により療養生活を余儀なくされるも、病身に鞭打ちながらシベリアに司令官として赴き、終戦を迎える。
戦後は、第四航空軍での特攻作戦を理由に、特に進歩的文化人から多くの誹謗中傷を浴びせられた。

417 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/03/30(木) 03:10:32
山中鹿之介(字あってる?)
忠義の士としてカッコイイと思うし、信野でも能力は高い、しかし一般的に知名度は低い。
昔歴史に疎い香具師の前でこの名前を出したことがあるのだが、
「誰それ? プロレスラー?」って言われたことがある・・・
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑上田馬之助 と一緒にすんじゃねぇ!

418 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/03/30(木) 03:20:25
>>417不覚ながら俺は子供のころにドラえもんで知った。
でも七難八苦なら普通の生活でもうお腹いっぱいだ。
わざわざ苦労を求める山中鹿之助には共感はできないんだが。
419 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/03/30(木) 04:14:49
自分の名をたからしめるために七難八苦を与えよって事だから
別に無条件に苦労したいわけじゃないのよ。
420 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/03/30(木) 04:25:30
山中鹿之介は今でこそあまり有名じゃないかもしれないけど、以前は教科書に取り上げられたりしてたんでしょ?
423 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/03/30(木) 09:44:40
実際プロレスラーとあんま変わんなくね?
強いだけだろ(一騎打ちが)
424 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/03/30(木) 22:42:07
>420戦前の修身の教科書に出てきてたんだからな。
戦後の「進歩的歴史」教育者に目の敵にされたのだろう。
>423尼子家再興に懸けた超人的な執念深さはかなりのものだと思う。
でも、結局は秀吉に利用されただけだったがな。
同じ境遇ながら、最終的に津和野城主になった亀井琉球守(w)と
比べると、その報われなさが哀れだ。
426 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/04/02(日) 16:35:14
山中幸盛とまでは言わんが、せめて山中鹿助と表記して欲しいところ。
「之」が入るのは講談の世界だけ。「介」もしかり。
458 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/04/15(土) 20:35:35
ぜんぜん出てきてなさそうなので
蘇我入鹿
蘇我馬子
この辺は彼らの後見や協力なくして成り得なかった政策や改革まで
聖徳太子の業績にされていると思う。
なんせ大化の改新で抹殺されてるしな。
477 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/05/13(土) 12:48:16
藤原信頼。
武力を重視していたのは当時の宮廷では先見性があった。
やり方が拙くて失敗したけれど。

478 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/05/13(土) 18:45:45
479 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/05/13(土) 21:46:17
二本松(畠山)義継
数万石の当主自ら敵方前当主と刺し違える!
只者じゃあないですな。
480 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/05/13(土) 22:05:07
原敬
平民宰相なんて、言われてるが実は南部藩の家老の家筋
明治維新で朝敵になったので腹いせに平民に、反骨心があって
なかなかよろしい

485 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/05/14(日) 15:38:34
伊達輝宗
政宗を早いうちに当主に据えて反対勢力の発言力を殺いだり
遠藤基信や片倉景綱など身分にとらわれず有能な人材を登用したりとか中々だと思う。

491 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/05/22(月) 01:06:37
鈴木貫太郎
この人の私心の無さには感嘆するよ。
226事件で瀕死の重傷にあってる。耳も遠く、70台だった。
それでも昭和天皇のたっての頼みで、首相を引き受けた。
そして、万難を排して、日本を終戦に導いた。
この人は昭和天皇の元侍従長であり、かつ奥さんは昭和天皇の養育係だった人。
まさに「究極の爺や」だよ。

500 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/06/02(金) 15:00:48
安藤信正 板倉勝静
幕末の老中は、意外に有能な人が多い。阿部正弘や井伊直弼もしかり。


蜂須賀茂韶
実は、この人は相当な人物。最後の藩主は、大体、明治維新後に何もしない
人が多いが、この人はOxfordに留学。最後の藩主で留学経験があるのは
この人だけだろう。その後、東京府知事、貴族院議長、文部大臣を歴任。
さらに、北海道で大規模農園を経営する一方、初期の紡績・鉄道会社に
出資。東京海上火災の初代社長はこの人である。自由民権運動を支援する
傍ら、日本歴史地理学会創立に及んで初代会長となった。
勝海舟は、蜂須賀茂韶について、「安藤サンみたいな人だ。モノのよく
分かった人だ」と評しているが、これだけ七面六臂の活躍を見せながら、
伝記すらないのが不思議。

517 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/07/04(火) 01:50:40
太田道灌。
戦前は「山吹の里」のエピソードが教科書に載っていたほどの
武将だったが、戦後はその反動からか、評価される事が少ない。
多方面で、天才的な武将だったんだが。

538 名前:
日本@名無史さん
[sage]投稿日:2006/07/20(木) 02:28:03
溥儀とその重臣達
本ではよく傀儡に過ぎなかったと書かれているが、実際は東アジアの混乱に乗じて民族の王朝を再興した策士揃い。
国内に跋扈する馬賊の掃討やソ連の後押しを受けたモンゴルとの国境争いでも関東軍を上手く利用している。
日本から金を引き出して荒地を近代工業都市群に変貌させた。
溥儀の教育係(もっと親密な、『爺や』)はイギリス人歴史学者で学会の権威だった。

550 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/07/22(土) 23:01:37
水野忠邦は意外とこれに当たるかも。
細かい政策を見ていくと、幕末の外患を見越した布石を着実に打っている。
幕末の外交官僚川路左衛門尉なんかも水野チルドレンだし。
もっとも、幕府の力を過信しすぎた上知令失敗で失脚するあたりに限界が見えているが。

561 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/07/23(日) 22:05:14
小早川秀秋の裏切りはなぜあんなに悪く書かれるの?
裏切りは世の常なのに
562 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/07/23(日) 22:19:43
そりゃぁ思い切りがなかっただろ。
家康は成功したし、三成は義をつらぬいたってことでできるが、
内応しますと自ら言ってきたにも関わらずなかなか西軍を攻撃せず、あげく鉄砲うたれてあわてて、
だからなぁ。
563 名前:
日本@名無史さん
[sage]投稿日:2006/07/24(月) 00:33:37
しかしタイミング的には最適。
戦闘に参加した部隊は疲弊していたし、全域で戦闘が続いていたから大谷隊が壊滅する前に救援する部隊もいない。
そこに無傷の小早川軍団が襲い掛かる。しかも西軍やや有利の状況での寝返りは、功績が大きい。
案外、秀秋は冷徹に戦況を観察して、自分を高く売り込む機会を窺っていたのかもしれない。
570 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/07/24(月) 13:26:50
たしかさぁ
秀秋って関ヶ原戦のあとほどなく病没するよね。関ヶ原の亡霊たちに怯えて。よほど心に負担があったのかなと思う。
あくまでも
想像だが少し精神的に危ないものがあったのかもしれないな。繊細ということにつながるかもしれないが。そういう面で少し頼りなく見えてたかもしれない。
572 名前:
日本@名無史さん
[sage]投稿日:2006/07/24(月) 15:32:08
亡霊に怯えて、というのは創作。
日頃の行いというなら、平時は温厚、戦場では勇猛、領民・家臣には優しい殿様だった。
それとは別に、大名間で評判が悪かったのは確か。
病没直後から、領民を斬り殺したとか、根も葉もない噂を書き残している連中は多い。
秀秋個人の力量や寝返りが問題の本質ではなく、スケープゴートにされたのが小早川秀秋だったということ。
後には『卑劣な裏切り者』というイメージが創られ一人歩きしていった。
まさに死人に口なし。
581 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/07/30(日) 23:25:25
北条早雲
582 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/08/04(金) 21:34:23
後北条五代の中では一番評価高いだろ。
それなら氏綱と氏政を推す。
583 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/08/21(月) 20:27:49
氏康は?
586 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/08/30(水) 03:00:52
早雲・氏綱・氏康はどう転んでも高評化だってば
それならばむしろ氏直推そーぜ
あまり世に名を知られぬまま亡くなったが、本能寺後の素早い滝川対策、徳川相手に勇戦した甲信遠征、先見の明有りの箱根出撃策主張、そして自らの首と引き換えに父と城兵の助命嘆願を申し出た潔さ…見るべき点は多いと思うが

613 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/09/05(火) 13:03:59
大久保彦左衛門
浪人の就職支援活動は、馬鹿でなきゃできないが、無能では務まらない。
ただの大沢親分やハリーじゃあない。

621 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/09/14(木) 23:29:26
島津久光
「西郷ドン」を島流しにし、「勤王の志士」を寺田屋で上意討ちにし、生麦事件の責任者でもあり、
明治維新後は時代錯誤的な建白を天皇に頻発。死ぬまでちょんまげを守り、名君の斉彬とは比べ物にならない、とされる。
しかし、慶応の四賢侯では最も政局の表舞台に立ち、
薩長同盟も王政復古も西郷・大久保など藩士がお膳立てをしたとはいえ、
最終的な決済は彼の決断にもとづく。
明治期の建白も、急速な伝統破壊と欧化政策への反発で、同時代の人たちには相応の説得力があった。

675 名前:
OPS[SAS]投稿日:2006/11/08(水) 20:22:59
長曾我部盛親。
関ヶ原では失敗したが大坂の陣では活躍している。

677 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/11/08(水) 22:51:58
このスレざっと読んだが、むしろ、
明治から大正にかけての学者にスポットあてるべきなんじゃない?
相応に頑張って、創造的実績あげてるのに、
「しょせん日本の学会は2流だ」
という思いこみの為に正当な評価を与えられてない人たち。
【長岡半太郎】
原子核の周りを別の素子が周遊している、
という原子モデルを世界に先駆けて提唱。
細部では現代の原子モデルとは異なるものの、
その祖型を作った功績は無視できない。

【北里柴三郎】
コッホの信任厚い研究者として学び、
従来の細菌研究から飛躍、
「空気のあるところでは増えない細菌群」
の存在を示唆、嫌気性細菌という新しいカテゴリーを細菌学に追加する。
脚気病に関する談話が本国に及び、帝大グループとそりが合わず、
かほど実績をあげながら帰国時ポストがなかったこともエピソード。

678 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2006/11/08(水) 23:01:33
【八木秀次・宇田新太郎】
現代でも使われているテレビのアンテナを発明した人たち。
(あなたの家庭の屋根にもある、アレです)
いわゆるアンテナの後ろに反射を目的とした長めの棒を置き、
アンテナの前に電波導入用の短めの棒を置くことで、
電波の受信を飛躍的に高めることに成功。
通常八木アンテナと呼ばれるが、日本では初め評価されず、
むしろアメリカのレーダー兵器と相まって、
レーダーにはなくてはならない装置として評価される。
現代ではテレビのアンテナとして使用。
効果のほどは、屋内アンテナの画質と比べれば歴然。


681 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2006/11/08(水) 23:42:43
ジョン万

682 名前:
日本@名無史さん
[]投稿日:2006/11/09(木) 13:33:04
万次郎は漂流民の中で一番評価が高いんじゃないか?
むしろ同時代のジョセフ彦蔵が過小評価されてる。
力松・音吉などイギリス系通訳も万次郎と同様かむしろすごいが、
アメリカベッタリの歴史やってる日本で彼らの評価が低いのは不満だな。

718 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2007/01/28(日) 19:55:12
三好長慶
理由は任せる↓

726 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2007/03/13(火) 01:02:46
>718
信長以前に機内を制覇しておきながらこの知名度は逆に凄いよな。
歴史教科書とかでも
「下剋上の例 細川→三好→松永」とかの扱いだし。
いつ久秀に実権が移ったんだよ!
てか長慶以後に実権とかあったの?
729 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2007/03/21(水) 15:49:01
>>726
寧ろ三好三人衆・筒井連合に追い詰められて信長に降ったくらいだからな。
今じゃ長慶のが遥かに名将だったってのが定説。
教科書については三好関連の話題では度々挙がっている。
744 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2007/08/13(月) 06:42:25
香山栄左衛門
相棒の中島三郎助ばかり有名?だが、
中島は船や大砲の調査を主にしていて、
交渉の主役は香山だった。
アメリカからも評価されてプレゼントもたくさんもらったらしい。
ただ、それが原因でねたまれて、転任している。
出世して、天狗党討伐にも指揮官として活躍したんだとか。
766 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2007/11/14(水) 13:55:44
綱吉つながりで貨幣改悪の親玉、荻原重秀とか
あの時代で「国家が保証すれば瓦礫でも貨幣になる」と貨幣の本質を見抜いた見識はすごいと思う
本人が無筆の上、政敵の新井白石に嫌というほど叩かれまくったのが悪かった
772 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2007/11/16(金) 12:42:03
細川政元
奇行は目立つが政治手腕はガチ
落ち目の室町幕府の管領であれほど
影響力ある人物は他にいない
ライトノベルとかだと化け物的イメージがついてまわるが

781 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2007/11/27(火) 12:32:37
織田信忠、信孝兄弟。
信忠は後継者としては有能であった。
信孝は実力主義の信長から四国平定軍の
軍団長に任命されていることから、
有能な武将であったと考えられる。
信雄と違って、
秀吉に利用されずに切腹させられていることからも推測できる。

783 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2007/11/27(火) 16:35:48
>>781>信孝は実力主義の信長から四国平定軍の軍団長に任命されていることから、 有能な武将であったと考えられる。
信雄と違って、
いや、その論法でいけば信雄だって有能だろ。
伊賀攻めとか任されてるんだし。

784 名前:
日本@名無史さん[sage]投稿日:2007/11/27(火) 16:39:01
信長の親族で優秀なのは信忠と信澄。
信雄と信孝は、実力どうこうという問題じゃなくて、
信長の名代的存在というか、
単に旗印として部下の邪魔さえしなければいいって程度の存在。
792 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2007/12/17(月) 06:22:04
だいぶ前から裏でいろんな大名に信長を倒すように頼みまくっていたのに、なぜか本能寺の変の黒幕からだけは外され続けている
足利義昭。

793 名前:
日本@名無史さん[]投稿日:2007/12/17(月) 08:45:45
>>792足利義昭は本能寺の変の当時、毛利に身を寄せていたからじゃね?
義昭が本能寺を裏から手引きし、変の起こりを知っていたのならば、
なにも毛利は秀吉と講和する必要は無いわけで。
毛利がこの事件を秀吉より先に知っていたならば、
歴史は変わっていたと思うが。