★外国人の目に映った「奥の細道」 漂泊の俳人 芭蕉の足跡を追って
詩趣あふれる紀行文『奥の細道』で世界中の読者を魅了してきた俳人・松尾芭蕉。米国人の紀行作家
ハワード・ノーマン氏と日系3世の写真家マイケル・ヤマシタが、その足跡をたどった。
外国人の目に映った芭蕉の世界とは、どんなものなのだろうか?

[40代なかばを迎えて体力の衰えを感じていた芭蕉は、漂泊の旅に突き動かされ、現在の東北地方から
日本海沿岸をたどる2400キロを踏破した。巡礼者たちがつかうような足袋や草鞋を芭蕉も旅装束に
用いたのだろう]
「日々旅にして、旅を栖とす――俳人・松尾芭蕉は『奥の細道』の冒頭にこう記している。 この言葉を
かみしめながら、私は今、後に俳聖とうたわれた芭蕉が1689年に踏破した、2400キロメートルの
旅路をたどる準備を進めている。そして実のところ、この旅に臨むにあたって一抹の不安も
感じている」と紀行作家のハワード・ノーマン氏はそう話を起こす。
ノーマン氏はかつて、京都で生まれ育った言語学者のヘレン・タニザキ氏にこう教わったという。
「学校のクラスメートはみんな、芭蕉の句なら1つや2つは暗唱できたもの」。実際、日本人で松尾
芭蕉を知らない人はいないといっても過言ではないかもしれない。
今でも、芭蕉の生まれ故郷や菩提寺を訪れる人は後を絶たず、多くの人々が芭蕉の旅路をたどって、
ゆかりの地へと実際に足を運ぶ人は少なくない。『奥の細道』は、多くの外国語に翻訳され、時空を
越えて、世界中の読者の心を魅了してやまない。
ノーマン氏はその理由を「種々の災厄と不確実性に満ちた世界に暮らす私たち現代人は、芭蕉が
時折訴えていた漠然とした不安に対して、ある種の親近感を覚えるのではないだろうか」と分析する。
芭蕉が活躍した元禄期(江戸時代中期)の日本も、大きな社会的変革の渦中にあったといえるだろう。
(中略)

[『古池や 蛙飛び込む 水の音』 平易な言葉で深い精神性を表現した芭蕉は、連句の冒頭にあたる
発句という形式を芸術の域にまで高めた]

[月はやし 梢は雨を 持ちながら』松の木の間から顔をのぞかせるおぼろ月は『鹿島紀行』で芭蕉が
愛でた雨上がりの月を思わせる]
ノーマン氏は言う。「『奥の細道』につづられているのは、芭蕉の心の旅路だ。その意味では、俗世の
あらゆる所有物を捨てて運命を風に任せる、出家者の巡礼にも似た漂泊の旅であった」。
この旅の数年後、芭蕉は1694年に世を去った。それから約300年。漂泊の賢者、世捨て人の芸術家、
究極の旅人、高潔な聖者、幕府の隠密、悪党すれすれの大山師、そして稀代の詩人――。
さまざまな人々が、それぞれの視点から、芭蕉について語ってきた。『奥の細道』には、どこか自虐的な
ユーモアや旅の記録、仏教的な受容の精神、絵画のような描写、時には不潔な環境への不平不満と
いった感情までもが、自在に織り込まれている。

[山形県の山刀伐(なたぎり)峠には『奥の細道』に描かれた峠越えの道が今も残っている]
「この紀行文は時空を超えた心の案内書でもある。芭蕉の足跡を辿れば、今なお変わらぬ風景や
古い寺社も数多くその姿をとどめ、旅人の心を往時へと誘ってくれるはずだ。なぜなら、美とは見る
対象への深い洞察はもとより、孤独な自己を見つめることによっても感じとれるものなのだから」
(ノーマン氏)。
現代米国人の心をもとらえるスケールの大きさこそ芭蕉という人物とその作品の真骨頂といえそうだ。
(藤田 宏之=『ナショナル ジオグラフィック日本版』編集長)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080212/147069/